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舞台「キャッシュ・オン・デリバリー」

やったぞ!
前にブログを書いてから3ヶ月くらいでまたブログ書くぞ!!
エライ私!!!

はさて置いて。



ブログに残しておかないといけないと思ってたので、去年の外部舞台、キャッシュオンデリバリーのお話です。


キャッシュ・オン・デリバリー
http://shyboy.jp/cash/
大阪(松下IMPホール)
2018/10/24~10/28
東京(シアタートラム)
2018/11/2~11/5


SHY BOYプロデュースさんの翻訳劇で、元々はイギリスの劇作家マイケル・クーニーの作品。

なので舞台もロンドン郊外。もちろん通貨はポンド。

作品としてはもちろんコメディですが、イギリスの福祉制度が充実している反面、その運用はかなりずさんだった、という風刺も込められているようです。
ゆりかごから墓場まで」という言葉は知っていたが、それがイギリスの社会福祉政策のスローガンだと知らなかった。
本来であればそういったイギリスの事情も笑いポイントだろうに、聞いて「ほーなるほどねー」としか反応できない。
これが知識はあればある程よい、という反面教師です。
悲しいね。



この作品を見た時に感じたのが、情報量が膨大だ、ということでした。
情報量が膨大=台詞量が膨大、なわけで
主演として置かれたSnowMan2人はもちろんのこと、出演者全員、本当に台詞が膨大でした。


そして、ただ台詞量が多いのではなくあえて「情報量」と言ったのは、見ている観客がそれらを聞き流す音ではなく精査して脳に詰め込むべき言語にしなければならないからです。
なぜなら、その情報をベースにして笑いがあり話が転換し、転換した先でまた笑いが起こるからです。
客もまた客席で、椅子に座って口開けてたら勝手に餌が詰め込まれるのをただ享受するのではなく、きちんと舞台を見ながら与えられていく情報をベースに脳内で構築するという行動をしている必要があるのです。


と、開始30分くらいまでは私も思ってました。



が、だんだんと気づきます。


情報を詰め込みすぎて脳がマヒしてだんだんぼーーっとして
トリップ状態で見るのが一番楽しいやつじゃない?これ。


普段、トンチキすぎて考えるな感じろと訴えてくる脚本には慣れきっているジャニヲタですが、
考えろが怒涛に押し寄せた結果「もう思考はいいや!感じろ!!」になだれ込む脚本にはとんとご縁が無かったため、余計に「たーのしーーー」となります。

最近感じるのは、一般的に理解出来る範疇で生きてきた人にトンチキ見せると「!……????……!!!」って謎の衝撃を受けるが、それをジャニヲタがみても「あるよねーこの謎の熱量ー」って薄い反応になってしまうやつ。
でも一般的なものにばかり触れてきた人には、とっても衝撃的なんだよね、きっと。
それの逆バージョン。
ジャニヲタ、「思考の果ての感じろ」に衝撃受ける説、ある。たぶん。しらんけど。ないかも。



もちろん、そんなことが出来るのは100%元の脚本の素晴らしさにあると思います。


まずトンチキに慣れ親しんでいる皆様がよくご存知、なぜトンチキになってしまうのか。

「話の整合性が皆無」
「場面の繋がりが皆無」
「伏線を回収する気も皆無」

あるよねー、よーーーーーーく見るよねー。
これが「皆無」レベルまで到達するからトンチキになるのであって、「取れてない」「出来てない」程度の場合、それはただの駄作です。
そして、この駄作のどれだけ多いことか。

皆無レベルを日頃から見てるんだから、足りてない程度なら満足出来るんじゃないの?と思いがちだが、
何事も突き詰めるとプロというもので、皆無を突き詰めているものと、単にやろうとしたけど出来てないものはやはり違うのだ。
主に、感じる熱量が。


そして、このキャッシュオンデリバリー。
脚本に抱く感想がもはや「ロジカル」。
馬鹿な感想を言えば「頭いい人じゃないと作れない」


膨大な情報量、なぜ膨大になるかというと設定が複雑な上に会話を重ねる毎に状況が推移し複雑化する、かつそれが絶え間なく起き続けながら最後まで続いていく、ということと
それらがすべて台詞によって行われ、舞台は開幕閉幕以外には暗転もBGMもない、ということにあると思われます。


ストーリーは、社会保障制度を悪用して障害やらライフイベントやら不幸にあった人物を捏造しまくって金を得ていたエリック(深澤)に、同居人(佐久間)が巻き込まれ1つのつじつま合わせに協力するハメになったが、後から後から別のパターンが出てきて、さらにつじつま合わせに紛糾するハメに陥りてんやわんやするコメディ、という感じ。


例えば、ノーマン・バセット(佐久間)は今朝方亡くなった、ということにされてしまい、嫌々ながらそのテイで話を合わせたところ、
「じゃああなたは誰?」となり、慌ててるうちに勝手に相手が勘違いしてくれてノーマン・バゼットの息子だ、ということになる。
が、途中で「亡くなったノーマンさんの息子さんは、耳が聞こえないということで障害手当が出ているはずだが……?」と福祉課の役人に指摘され、突然、今の今まで耳は全然聞こえていなかったフリをしはじめなくてはならなくなる。


こんな嘘とつじつま合わせを、1人に対してではなく、この人に対してはこの嘘を付いている、この人に対してはこの嘘を付いている、と常人であれば瞬時に破綻するような折り重ね方をする。
その何十もの嘘を何重にも重ねて乗算になってやべぇ状態のままで、きちんと舞台の最後まで破綻せずに走り続ける。


めっちゃ、ロジカル~~~(馬鹿発言)


普通にやったら1幕のうちに破綻するか、ストーリー上では破綻してないテイで進んでても客席から脚本の破綻が見えてしまう事態になる。
「これ作った人……頭めちゃくちゃいい……」っていう馬鹿丸出しの感想になるわけです。


でも、この破綻してない、も、1度見た時には正直そこまで分かりません。


「そんなとこを気にしながら見てるよりも、笑ってみた方が絶対に楽しい」


と気づくので。


何度も見て話が頭に入ったのなら、帰宅して家でじっくり思い返せばいい。
あと台本売って欲しい(死ぬほど遅い要求)



そんなわけで、1幕の途中から割ともうひたすらおもしろいから笑う、ということをする3時間。


客席全体の反応としても、1幕始まってしばらくは笑い声は割と控えめなので皆まだ脳をフル回転させてるんだと思うけど、だんだん笑い声が大きくなって会場がどんどん笑ってくので、どこかで皆頭がマヒしたか思考を止めて感じろに転換したんだろうなぁーって思う。


公演が終わったあと退場しながらするザワザワ声の大半が
「おもしろかったーー」
「笑ったーー」
って感情面の感想の声だったのも印象的で、
あれだけ中身がぎゅうぎゅうのストーリー部分への感想だったり、担当がどうとかじゃなくて、「おもしろかった」になるのって、
つまりは見てた人みんなが「感じろ」になったあげくに、その感じろが「おもしろい、たのしい、わらう」って方向に振り切ってた事だなぁと。


私も、割と1幕の早い段階からそこにいるのはエリックとノーマンだなぁと認識してて、自担がどうとかSnow Manがどうとか、頭に欠片も思い浮かばなくなってました。
見てる間はずっと、そのお話に引き込まれてしまってた。
舞台中現実に返ったのなんて、さっくんの女装は笑いポイントだと思ったら客席から嘆息が漏れてて「えっっっ。あっ、そっちなんだね!???」って衝撃受けた時くらいです。
うん。びっくりした。私は佐久間というものを見誤っていたようだ。



終わったあとに一斉に「たのしかったーーー」って声が出る舞台を見れたことが、本当に楽しかった。おもしろかった。
お金を払って頭空っぽになって笑ってスッキリ帰ってく。
なんて理想のエンターテインメント。


公演見終わった瞬間に、この舞台を、ジャニーズ興味無いけど舞台にお金を払うことには抵抗のない、あの友人とこの友人と、あの人とこの辺の人にも見せたい!!!!!ってなりました。
まぁチケット無いから出来ないんですけども!!!!!
「チケットあるから、私と!!これを!!見に行こうぜ!!」って少なくとも5人以上ぱっと声掛けたい人出てくるのに、それが出来ない。悔しい。
そんな感情が入り交じりながら帰宅しました。ある意味100%スッキリは出来てなかった。布教できない不満。布教欲だけが満たされない。布教欲って何。



キャッシュオンデリバリーを見て、これだけ多くの感想が「たのしかったーー」になれたのは、もちろん脚本の完成度とともに、主演を含めた演者の方々の高さにあるのだろうな、と思いました。
主演2人を据えたときに未経験2人だとどうなるかわからないから、他の演者の方々はベテランで固めた、というお話を聞きました。ほんそれ。ほんプロ。そう聞くと当たり前のことのように聞こえるけど、それを有言実行してかつ結果まで出すのって、ほんプロ。それはきっと、私たちの目には見えない、舞台上には上がらない方々も、そのように固めて下さったのだと思います。
もちろん、その上で主演2人が想像を越えてきたため、周りの高さと相まってとても良いものが出来た、的なことをおっしゃってくださったのですが。そこに関してはファンはある意味分からないので言葉とおり受け取るしかない部分。
分からないというのは「そうだ」とも言えないし「違う」とも言えない。シュレディンガーの猫です。


でも、別で聞いたお話の中で、
このカンパニーは皆舞台にかける情熱がとても高くて、こんな恵まれた環境はなかなか無い、といった感じのお話もあって。


外部舞台が初めての2人だからこそ、あえて言葉にされたものだと思います。
多くの外部舞台を経験してれば自ずと感じとれる内容なのでわざわざ言わないだろうことを、比較対象を持たない2人のためにわざわざ言葉にして教えてくれた部分なんだろう、と思うと、それはきっと

「わざわざ言葉にして2人に伝えたいほど、恵まれたカンパニーだった」

んだろうなーと思います。
観客として作品は心から「あーーたのしかったーーー」って言いながら帰る内容であったし
ファンとしては「恵まれた環境に自担がいた」というのが最大の幸せ喜びポイントでした。


こんな満たされる舞台を、私はこの先どれだけ見る機会があるだろうか?とすら思いました。



てわけで、何年後に見て「たのしかった!」という気持ちを思い出せるメモとして、まっっっったくタイミングはおかしいですが、キャッシュオンデリバリーのブログを残しておきます。


感想でもレポでもなんでもないです。

これ、ただの、
「キャッシュオンデリバリーという存在をこの先何年でも心に留めおきたい」
がための、メモです。