2018年に「Jrを応援すること」という壁打ちをしてた
スマホがぶっ壊れた。
修理に出すために、まず代替機が送られてきたのだが、ここ何年も何台もずっと同じメーカーを使ってきたせいで、代替機にデータ移行するにあたってメモ帳データが移行出来ない、という事態になった。
まぁ言うてそんな大したこと書いてないだろ。
と昔のメモを見たら、数年前は、思ったよりも日記というかブログみたいな長文を割と書いてた。
当時からこのブログあるんだから、ブログでやれや。
なんだメモ帳て。壁打ちにも程がある。
2018年8月のメモで、Jrを応援するということについて、もやもや考えてた文章が出てきた。
このとき、自分が本当にデビュー組担になるなんて(希望や展望を除けば)まるで思ってなかったので、振り返るとなんだか感慨深い。
私は割とまわりにJr担だと言うことをあまり隠してはいないタイプだったのだが、ジャニーズをかじったこともない人からは
「テレビとかに出てないのによく見つけられるね」
「やっぱりデビューしたらファン辞めちゃうの?」
みたいなことを言われることが割とあった。
よく見つけられるね、という事に関しては私はTVに興味なく育ってきてるので、よく分からない。まぁ、雑誌も右から左に書いてあった記事忘れるから、読んでるようで読んでないのかもしれないが。
そもそも私は、ハマった人が結果デビューしたことはあっても、最初からデビュー組にハマる、という経験が無いので、逆にデビュー組ってどうやったらハマるの?と聞きたい。
ていうかJr、世の中の人が思ってるよりもTVとか雑誌とかすごく出てる。伝わらないけど。
「デビューしたらファンやめちゃうの?」という問いは、確かにそういう人がいるのは事実なのだが、ジャニオタ事情なんて知らない一般人からそういう風に聞かれるのは何でだろうな?と思ったら。
どうやら、Jrを1人のタレントとして好きだから応援したい、というのが伝わらず、個人を応援するのではなくて人間がチームが成長する過程、そのストーリーを楽しんでるのだと理解されたようだった。
高校野球みたいなものでしょ?と言われた。なるほど。なので、デビューしたら青田買いして次の良さそうなのを探しに行く。応援してた高校球児が卒業して大学生になったら、翌年は別の高校、別の球児を応援するのが当たり前だ、それと同じなのだろうと思っているようだ。
難しい。事実、個人がグループが成長する過程そのものをエンタメとして消費している部分は間違いなくある。ひとりの人間の人生をエンタメショーとして消費している事実が、道徳的に良いか悪いかは別で問題にはなるかもしれないが。
だが少なくとも、そのエンタメを見たいから誰か適当な人を見つけているわけではない。ニワタマ理論ぽいが、明確に誰が好き、が先にある。
なかなか一般の人との認識の溝は埋まらなさそう。
とか書いてた。メモ帳に。独り言として。
ブログに書け。
ただ、その上で2018年当時の私はそこから「自分に、はたしてデビュー組のファンが出来るだろうか」という話をしてた。
デビューすると思ってない割には、デビューすると思ってる。なにこの強欲な壺。
そもそも最初からJr担という時点で、ステージに立つ姿を応援する、という方法以外に興味がない。
「デビュー組は自分のステージにしか立たないけど、Jrはデビュー組がいれば居るほどバックで多くのステージに立つ、つまりデビュー組の何倍も応援することができる人」だから応援出来ている部分が大きい。
そもそもがまず応援方法が「CDを買って応援する」というスタイルになる気がする。それは大事なのだけど、でも私の性格からすると、例え何枚も何枚も買ったとして、私がCDそのものから得られる満足はCD1枚分だ。
何枚も買っても全然いいし、たぶんするだろうけど、買った数の分だけ私も応援出来た!!という考え方が出来ない。何枚買っても、自分がやったことは「CD1枚分の応援」という感覚。根本的にデビュー組の応援に性格や考え方が向いていない。
当然だけど、デビューして欲しくない、なんてことは1ミリも思わない。
ステージにいっぱい立ってる姿を私はいっぱい見たいけど、ステージはかなりスケジュールを拘束されるものだし、正直ステージに縛られずに多くの活躍をして欲しい。
ステージに縛られず広く多く活躍して欲しい、という願望と、私はステージがいっぱい見たいからステージにいっぱい立って欲しい、という願望が両立しない。私は、デビュー組の応援は出来ないかもしれない。
2018年の私に言いたい。
「デビュー組のファンにはなれたし、特に降りる気も一切なく楽しくやっているぞ。でも予想通り、テレビ番組も雑誌もCDも円盤も、サボって貯めに貯めまくってるぞお前。よかったな」
ステージは「何回入れるかなぁー」とかやってた当時と比べて、「1回!!1回でいいから当たれや!!!!」っていう世界になってる事実は耐えられなさそうだから、2018年の私には黙っておきたい。
あと、当時何故かついでに私は謝っていた。
これまで、コンサートの最後の挨拶とかファンへのメッセージ、朝礼の校長先生のお話くらいにしか聞いてなかった。SnowManで深澤さんがその役割をやって、初めて真面目に聞いた。申し訳なかったな。
それはお前、人の話は真面目に聞けよ!!!!!
その謝罪はメモ帳で大正解だよ!!
個人的に忘れたくない深澤さんの転機
深澤さん30歳のお誕生日おめでとうデー。
だからというわけではなく、GWに実家帰ったら母が
「この中で、捨てていいやつどれ?」
と私の部屋にあるものを断捨離する気満々で出してきたのだが、その中にチケットを収納したファイルがあった。
「捨てるな、それは捨てるな。やめろやめてくれ」
という流れから、そのまま昔のアルバムを開いて掃除の手が止まる、あるある現象スタート。
そんなチケットを見返していたら、そういえば自分の記憶に残しておきたい話あったなぁと思い出したので、ブログ書きました。
私が個人的に、なんか忘れたくないな、と思っている。
深澤さんが、踊るようになった日。
タイミングは、Johnnys 2020 World(公演期間 2013年12月~2014年1月)。
タイトルから分かる、ジャニーさんが2020年にめちゃくちゃハマってた時期。
ほんと、この時一体誰が2020年にデビューするのはスノストだと思っただろうか。
現実って不思議……
私はこの時の、2014年1月2日の昼公演に入り、深澤さんがめちゃくちゃ踊っていて、動揺していた。
https://twitter.com/hibbbbbbi/status/418622271092039682?t=bH4pZpx2q1Hu6YimDdZSkA&s=19
めちゃくちゃ踊ってた、って何だという話なのだが。
この時より前の深澤さん、マジで省電力モードの人だった。
岩本さんが深澤さんのダンスは流してるように見えて損してる?的なことを言ってて、それはきっとそうなのだろう、と思うのだけども、そもそもこの時より前はそういう「流してるように見えるダンス」とかじゃなくて、今スイッチがオフだな、と分かるようなダンスをしていた。
なんでそんなこと言うのかといえば、ファンだからこそ、スイッチオンの姿を見て知っていたから。
オンを知ってるからこそ、そうじゃなくオフモードでダンスしてる姿を、いっぱい見た。
いや、もちろん当人からして見れば全部本気だったかもしれない。
が、ステージに立つ姿という”結果”にあれだけ差があったダンスを「全部全力だった」というのはさすがに無理があると思うので(さすがに無理があると思うので)
まるで本人のことなんて知らないので申し訳ないけども、「スイッチのオンオフがあった」という前提で話します。
オンオフの割合で言うと、ライブのバックにメインでついてたとして、そのライブで2、3曲くらいはスイッチオンで踊ってて、それ以外は全部省エネ、くらい。
がっつり踊ってる深澤さんはレアだった。
客としては、深澤ダンステンションガチャをしてた気分。
どの公演で、どの曲で、どのダンスで、どのタイミングで当たりを引くか分からないので、いつも目が離せない。
私は個人的にガチャをとても楽しんでいた。自担はいるだけでカッコイイからいつでも当たり!たまに大当たりがあってメチャクチャお得!というタイプなので、幸せな推し活。
ちなみにこの頃、公演後に「聞いて聞いて!今日もふっか踊ってなかった!かっこいい!」って報告してたらそのうち友達(佐久間担)にスルーされるようになった。
友、私の扱いが雑。私も友の扱い、雑。仲良しだ。
あとは、私は別にそれを不真面目な態度とは感じてはいなかったが、あくまで私はなので、他担にどう思われていたかは知らない。
単に、省エネだなーとしか思ってなかった。
そんな、ベースがゆるモードだった人が、私が観劇したこの2014年1月2日に、公演通して出演部分全部、全曲どの立ち位置でもずっと流さずスイッチオンのまま踊ってた。
私の動揺はすごかった。
たぶんあの日あの会場にいた深澤担の人達、全員動揺してたと思う。知らんけど。
それくらい、今まで見たことのない深澤さんだった。
ちなみに、本当に正確にこの日からなのかは分からない。
当時の自分のツイートを見る限り、2日前のカウコンも見に行っており、深澤さんのケツの話しかしてないから、普段通りだったんだと思う。
なんでカウコン行ってまでケツの話しかしてないんだよ当時の私。なんか他になかったのかよ。
そして、翌日のジャニワの1/1公演は私は入ってないので、もしかしたらこの日からだったのかもしれない。
分からない。
とりあえず、2014年の1/1か1/2。
このどちらかであるのは間違いないように思う。
この時からはっきりと、深澤さんは常時スイッチオンで踊るようになった。
本人に、どんなきっかけや心境の変化があったのか、そんなことはファンは知らない。きっかけなんてもの、そもそも無いかもしれない。
何かあったタイミングなのかもしれないし、そういうことは関係ないのかもしれない。
ファンだから勝手にあれやこれや想像することは出来るけど、たぶんそんな想像なんかに正解は無いのだと思う。
とりあえず事実として、この時以降ずっと、私たちが目にするものが変わった。
もしかしたら「そんなのそもそも出来てて当たり前のことじゃない?」と言われそうではあるけども。
個人的には、それを当たり前のこととせず、そのようなステージであり続けてくれることへの感謝は忘れずにいたいな、と思っている。
私は、プロなら出来て当然でしょ、という発想はあんまり好きではない。
出来ないことを出来るようになる努力は必要だと思うし、必要なのに出来ないままで満足している姿勢なら、それは違うのではないか?と思うが
かと言って、誰かの努力を他者が「出来て当然」としてゼロの扱いにするのは、あまり気分が良くない。
なので、誰かが頑張ってたら、私はそれに感謝したい。
本人にとったらその変化なんてほんの些細な出来事かもしれない。
でも、ステージしか見えない私にとって、そのステージが大きく変わった、というポイントとして、記憶を残しておきたい。
実写映画おそ松さんの設定について考えた
映画おそ松さん(実写)について。
考察っぽいこと。
※与えられている情報をアレコレこねくり回す事が楽しいのであって、作り手の意図という正解を見つけるためにやるわけではないので、ご了承ください。
なんなら「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」っていうところまで考え尽くす事が目的です。
作り手を越えていけ。
あと、映画を見終わったあとにこねくり回しており、それを検証し内容が合ってるかどうか、とか確認の映画鑑賞はしていません。
そのため、ちゃんと見てみたら言ってること全然違った!!!!
ってこと、ふつーにあると思います。
あまり真に受けず、ガセネタとしてご覧下さい。
前提。
スノ担です。
アニメや漫画は殆ど見ないけどゲームはやってて文化圏的にはオタク。
考察なんてやる時点で、脳がオタク。それはそう。
おそ松さんは当初なんかアニメやるんだなーくらいの認識でしたが、オタク友達から「藤田監督だよ!」と言われて即座に視聴決めました。幻の1話は腹抱えて笑った。
好きな回は十四松まつり。なんで?と言われると説明できない。ていうかアレを説明できない。
好みのギャグはたぶんカオス系。昔ニコニコ動画見てた頃に好きだったタグは「ここに病院を建てよう」「病院が来い」
ちなみにTwitterにて以下の流れをした上での「考え一旦まとめるか!」というブログ記事です。
よく見たら違うかもだけど。それぞれの物語では六つ子は互いを兄弟と見てない件。物語中は名前も呼ばないし名前知らない設定かもしれないな。トド松が「一松」って兄さん付けずに呼んだのと単にキレ気味だからかもだけど、トド松は一松に招待状送ってるから物語中でも名前を知ってるって設定もあるなと
— ひびき (@hibbbbbbi) 2022年4月2日
確かに納得です!そしてパーカー意識してなかったですが、確かに理由もなくいくらでも着替えていいのに124ずっとパーカーとか意図ありそうですね。四男は終始四男だし、長男は結構物語の構造の外側...
— ひびき (@hibbbbbbi) 2022年4月3日
続き→https://t.co/Nr1u7OJ8Uk#マシュマロを投げ合おう pic.twitter.com/585Lrr63wS
次男1度脱いでるし世界観的にも誰より着替えていいはずなのに、頑なにパーカーなの違和感はあったけど、わざとか!
— ひびき (@hibbbbbbi) 2022年4月3日
髪型とパーカーで六つ子、という前提がずっと活きてるなら四男長男は自我あるの納得だし、カラ松これ、マジで記憶ない設定に酔ってるだけで2人並に自我あるわ。
えっ……脚本すご…
頂いたこちらのマシュマロの方がすごいので、この方の考えまとめを私は読みたいと思っています。割と真剣に。
それはそれとして、この方の考え通りでは無いかもしれないけれど、これを受けて「なるほど!!」と考えたことのメモです。
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考えを整理する上で、作品のメタ多重構造の各層を明確に別物として線引きしてから話すと一番わかりやすいかなぁ?と思うので、まずはそこから。
そもそもメタとは。
作品でよく言われるメタ要素というと、銀魂とかであった「アニメキャラが実写化の俳優ネタをギャグとして使用する」みたいなのが例文的にありますが、あくまでメタ要素の一面です。
そもそものメタは
「ある視点の外側(あるいは異なる次元)に立って物事をみる」
ゲームでよくあるメタ要素は、ゲームの世界の外側にはプレイヤーのいる現実の世界があることを、ゲームの登場人物が理解している、というような構図です。
あとは、箱庭の世界に外側から干渉する、など。
そういう構図。
で、映画おそ松さん。
メタ構造をただの一過性笑いネタで消費してないのがおもしろいなーと思ってるのですが。
その、各層について。
まず一番小さな箱庭は、落雷以降に始まった「6つ子がそれぞれ暴走して作ってく、自分が主演の実写映画」という劇中劇です。
その箱庭に、終わらせ師や作中の6つ子達は物語改変という干渉をします。
あの劇中劇の登場人物達は物語の中の住人であり、作中の落雷前までのキャラ達とは別の次元にいます。(本来別モノなのに、終わらせ師や6つ子達がバリバリ干渉して来てるので、境目が曖昧になってますが)
まずこの劇中劇がメタ構造の1層目。
そして作品の6つ子達に「実写って~」というセリフがあったりと、自分たちの世界の外側、つまり私たちの世界を認識しています。
Snow Manという役者や、観客がいる世界です。
これが2層目(作中)と3層目(私たちの現実世界)。
たぶんここが一番、「作品にメタネタがあった」と言われてる部分かな?と思います。
3層目の存在を把握してるくらいなんだから、そりゃ1層目に干渉だって出来るでしょうよ。
私が映画おそ松さん、構造がややこしくて素晴らしいな!ってテンション上がるのは
1層目はもちろん暴走の果てのトンチキ劇ですが、2層目はいわば、作中の彼らが暮らす日常世界。
それとは別に、本来の日常世界とは違う「なんか実写化映画にありそうな、壮大な設定が出てきて感動する物語になってたはずの、実写映画おそ松さん」という作品も、1層目に塗りつぶされてしまって消えたけど、本来はあったのだろうな、というのが分かること。
ループ起点である「おそ松が図書館で勉強している」とかは、本来描かれるはずだったなんか壮大で感動する実写映画にあるシーンだし、雷前までの6人の行動は全部「本来描かれるべきだった映画のお話」だし、
写真を偽造した松代が「こういうシーンだって”あったはず”」と言う、その”はず”とは、本来描かれるはずだった、なんか壮大で感動する実写映画おそ松さんのお話にはあったはず、という事なんじゃないかな?
という、1層目の裏側に、塗りつぶされてしまった本来の1層目(ぶっちゃけたぶんそんなに面白くないよくある実写映画)がチラ見えするところが最高にテンション上がります。
ややこしくて素晴らしいな。
脱線した。
で。
「おそ松さんのお互いが兄弟として見ていない説とパーカーの説を詳しく教えて頂けますか?」
というマロを頂きまして。
この、「層が違うものは全部別物なんだ」ということを前提にしたら、伝わりやすいかな?と思ったため、前置きが長くなりました。
まず「お互いを兄弟として見ていない説」
これは、1層目の、落雷後の暴走してる劇中劇に限った話です。
劇中劇はそもそも全員、自分主演のオリジナル実写映画をやってるので、その映画に兄弟っていう設定がない限り、兄弟ではないのだと思います。
そう考えたきっかけは、まずお互いが名前を呼ぶことがかなり少なかったことと、ジョーカー化した一松に向かってトド松が「一松」と呼んだことでした。
通常の呼び方の「一松兄さん」ではなく「一松」と呼んだことへの違和感。
とか言って、私が声を全部聞ききれてなかった可能性は全然ありますが。
本当は円盤買ってからちゃんと検証するべき。円盤が本番。あっ韻踏んじゃった。
私が記憶してる、兄弟が名前を呼ぶシーンは、その「一松」と、刺された時におそ松がチョロ松の名前を叫ぶとこくらいです。
また、マシュマロで頂いたように兄弟間で「お前」ではなく「アンタ」と他人行儀に呼ぶ事など。
あちこちで、兄弟ではない関係性っぽい描かれ方をしており、また兄弟らしいシーンは全然ないこともあり、この劇中劇では兄弟ではない(もしかしたら相手の名前も知らない設定の可能性もある)のかな、と思います。
トド松は招待状の送り主なので、送り先である一松の名前は知っていておかしくないな、と。
おそ松は後述のようにずっと自我があるので、劇中劇の登場人物として振舞ってる間は全然呼ばないのに、チョロ松が刺された時だけ素になったかのように呼ぶ。おそ松兄さんそういうとこある。
そして、パーカーが自我説。
「パーカーと髪型が自我なのではないか」という、マシュマロ送ってくださった方のするどすぎる着眼点。天才。考察まとめて欲しい(ずっと言う)
私は「自我は全員持っている上で6人わざとハチャメチャしてる」と思い込んでいたため、これは本当に目からウロコでした。
そもそも作品は「この髪型とパーカーを着ていたらそれはもう6つ子である」という設定を最初に出して、それが物語の根幹にもなっています。
この「髪型とパーカーを着てたらSnowManも6つ子だ」と言うことは、逆に言えば
「作中でもこの髪型とパーカーを着てなかったら、それは例えキャスト通りのSnowMan本人であっても6つ子達ではなくなる」
という理屈になります。
この「6つ子達である」「6つ子達でない」という状態を、「(6つ子達の)自我がある」「自我がない」と表現しています。
マシュマロ頂いた方がもしその方的には用法違ったら申し訳ない。
パーカーだけに言及してるのは、髪型はみんな維持しているからです。
逆に髪型まで無くしてしまえば、それは作品の中では完全に別人の誰かです。
そういう設定なので。あの作品が。
6つ子の中で、チョロ松とトド松は劇中劇が始まった段階でパーカーを着なくなります。
逆に、世界観的には着替えていいし、話の展開としても脱いだついでに着替えられたはずのカラ松は、ずっとパーカーを着ています。
なので、それは意図的なのではないか?と。
意図的にパーカーを着せ続けるキャラと着替えさせたキャラがいるのではないか?ということになります。
それぞれで見ると、おそ松と十四松は完全にパーカーを着ています。1度も脱ぎません。
ではこの2人の自我はどうだったかというと。
おそ松は分かった上でエンドに対抗したり、刺された時に「チョロ松」と名前を呼ぶので、そのまんまの自我をもった(2層目のおそ松)状態で、1層目の劇中劇に干渉している、明確に終わらせ師と同じやり方をしている、メタキャラです。
十四松はそもそも落雷前後関係なく一貫して野球やることしかしてないので、十四松は十四松。ずっと十四松(2層目)です。
なんなら1層目の十四松ってキャラクター、あの映画に居た???
1層目の十四松っていうか、タイムスリップして七人の侍してたお話のどこ見ても、なんか本人の意思で作った物語にはまるで見えないけど、あれはなんだ?
十四松だから、で済ませてたけど、本人別に物語作ろうともしてなければ、あの話を続けようともしてないな。
エンドが十四松のタイムスリップに巻き込まれたんじゃなくて、十四松が落雷によってエンド(おそ松の物語に取り込まれ済)とハルの、過去に戻る設定に引きずられてタイムスリップした可能性もワンチャン……?もしかしたら因果関係が逆…?(ループや過去に戻る時点で時系列はあってないようなもの)
違う。今はそんな話してない。脱線した。
十四松がアイルビーバックした直後、侍JAPAN結成しようよー!とか話しかけて絡みに行くのが、自我を持ってちゃんと6つ子(十四松と兄弟)のままでいるおそ松の方なの、たまたまなのかわかんないけど、合致しててすごい。
あの場に十四松の兄弟はおそ松しかいない。のかもしれない。
対して、完全にパーカーを脱ぐのはチョロ松とトド松なので、落雷後は自我失っており、完全に劇中劇の登場人物になってしまっているのではないかと思われます。
トド松の「一松」呼びも、わざとなのかと思いました。
まぁぶっちゃけ、ブチ切れてるから呼び捨ててるっての、全然理由としてあると思いますが!!!!ここまで語っといて何ですが、ぶっちゃけね!!!
ただ、この2人は終わらせ師の物語を閉めようとする展開にも「あ、ああ…そうだな…」って感じで乗せられるので(エンドの3年後サラリーマン展開や、クローズの「これが”最後の”勝負やな?」など)、確かに物語に取り込まれてるんだな、という気がします(個人の感想)
で、残り2人がどうなんだろな?と。
パーカーは着ているけど、その上にコートを一枚羽織った状態の一松。
パーカーを着ているので自我はある(クローズから無理やり物語を引き戻したり)と思うのですが、完全に、ずっと、あったと言っていいのか。
判断が難しいんじゃなくて、深澤担、一松のシーンなんも思い出せない。舞い上がりすぎて客観的にシーン見れてないせいで、映ってたり喋ってた情報、なんも思い出せない。アホなのかもしれない。
ふと、もしかしてジョーカー化した時って髪型いつもの「6つ子の髪型」ではなくなってた?「いつものカツラじゃなくてすごくボサボサだった」とかだけでも、設定的には自我なくしても良さそうなんだけどな。
どうだったっけなぁ。いやー。なんも覚えてないわー(無能)
カラ松は、劇中劇の開始直後はパーカーを脱いでたので、もしかしたらあの段階では自我が無くて劇中劇に飲み込まれてたかなぁ?と。
でもそれ以降はアジトも襲撃も頑なにパーカー。
その割には劇中劇の登場人物としてずっと行動してたけど?という点は、カラ松なだけに、記憶喪失やCIAという”カッコイイ俺”に酔ってただけなのでは…?という感想。
そうすると「カラ松いつ記憶取り戻したの?」とかいう疑問もなくなりますね。別に失ってない。失ってる設定に酔ってただけ。
ただピリオドの話を引き伸ばしたのは、終わらせまいと抵抗したのか、それともカラ松だからこそ生い立ちとか家族とか本気で心配になっちゃった優しさゆえなのか、わかんないですが。
パーカーと髪型で6つ子なので、赤ん坊の写真の下りからは完全に6つ子。
世界や物語は全然第1層だけど、自我は全員第2層の6つ子。
という感じかな、と。
そういう意味では、この映画で6つ子がちゃんと6つ子でいる時間は割と少ないかもしれない。
また、別のタイミングですが思い至って感動した構造ポイントで
実写映画あるあるを前振りとして作り込めば作り込むほど、オチの「って、おそ松さんでそんな大層なものが出来上がるわけないよねー!」が活きてくる、そんな構図をこの映画は含んでると思うのですが。
2層目の物語自体がそういう前振りとオチでしたが。
3層目、つまり私たちの現実世界でも
・ジャニーズ主演
・6つ子なのにメンバー9人全員出演
・オリキャラ投入
という、数多の人達が踏み抜いてきてもう草木一本生えてないような大地雷原だけど、でも実写映画あるあるのシチュエーションを見事なまでに配置してて、3層目すら作品の内側に巻き込んでる状態なのが、すっごいな!!!と感動してます。
はい。今です。
「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」
…と、いう、色んな説を唱えただけで
実際あの映画ってこういうことで作られてるよね!!という話ではなく、
こうだったら面白いよねーー、というくらいのものです。
それっぽく言ってる人の言葉は、真に受けてはいけない。インターネットのお約束だ。
以上、実写映画おそ松さんを見て思いついた考察のまとめでした。
ペンライトに興味が無い人のお話。
ペンライトについての、私が思ってるお話。
ちなみに注意書きみたくなってしまうけども、ペンライトを理由に界隈がちょっとザワザワした話、ではなくて単に私がこれまでのジャニヲタ人生でペンライトについての認識を述べるだけです。
ザワザワに関しては基本的には知らん。
私は中身や正否に関わらず一貫して
「本人たちによる学級会は渋々参加する。運営による学級会はもっと渋々参加する。本人たち以外による自治体学級会は知らん。助走をつけて殴ってきたら一旦中身を問わずカウンターキックかます」
というスタンスなので、そこに関しては特に何も変わらず平穏な日々です。
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ペンライトってものが元々私は興味なくて、持ってると邪魔だなって認識だった。
ペンライト振るくらいなら、良席ならうちわ振ってたいし、良席じゃないなら双眼鏡覗いてたい。
なので遠隔操作ペンライトが登場した時は「とうとう、振りたいうちわを奪われ、振りたくないペンライトを振らされる時代が来たか……」と覚悟した。
そんでお金かかるからか思ったより他グループに実装されなかった。別にそんな時代はこなかった。
いや、個人的には助かったのだけれども。
そんな時。キスマイがドーム公演をするようになって2、3回目くらいに、コンサートの演出として客席のペンライトを同じタイミングで点灯してもらい、同じタイミングで点滅をする、同じタイミングで色が切り替わっていく、というものを盛り込んできた。
つまり、「その時発売されてたツアーグッズのペンライトでなければ絶対に対応できない、旧グッズではほぼ絶対に対応できないコンサート演出」がされた。
そのドームの景色を見て初めて私は、「ああ、ペンライトって客のためのものじゃなくて、タレントのためのものなのか」と納得した。とてもしっくりきた。
この考え方が私はストンと落ちたので、この頃ようやく私はペンライトというものを買うようになった。
あくまで私の認識の話であり、世の中はたぶん絶対そんな認識はしてないと思う。聞いたことないけど。知らんけど。
私は、ペンライトとはそこで振っている個人個人が気持ちよくなるためのものではなくて、会場全体に溢れる光を見てステージにいる人が気持ちよくなるための装置だと思っている。
元々良席に座る時には「ここの席に座った以上、自分は金を払った客ではなくライブを盛り上げる番協であるべきだろう」とか考えるタイプの人間なので、それが「ああ天井席まで番協だったか」となっただけなので、とてもしっくりきた。
ペンライトを振る時、自分は客ではなくペンライトを振る装置だ。
そこにある一つ一つの光が大切なのではなく、全体でひとつの溢れる光が欲しいのだ。そこに個人なんていらない。
とすれば、遠隔操作はその究極系だと思った。
もはやペンライトを点けて振る装置も要らない。ペンライト立てがあれば、美しい景色は作れる。
でも、個人的には去年を経験して
「じゃあそれって、去年見たあの、電飾を施されコントロールされて綺麗な光に埋められた無観客コンサートの客席と何が違うのだろう」
と考えるようになった。
コントロールされて演出通りに光る客席。ステージから見える美しい光の波。
気持ちの問題とか興行収入の問題とかは別として、その見える光そのものには、果たして差はあるのだろうか。
そこは割と虚無を覗き込んでいる気持ちになっている。
答えはなかなか出せない。難しい。
とりあえずペンライトに関してはその頃にキスマイのドームを眺め
なるほどなー、なるほどなー。全然目的が違ったのだな。
そういう理解の仕方をしてとてもストンと落ちたので、私はそれ以降ペンライトを買うようになったし、ペンライトを振っている時私は観客ではなくペンラ降り装置として振っている。ステージに立つ人が気持ちよくなるために。
そして相変わらず私個人は「ペンライト持つと手が足りないなー邪魔だなー勝手に持って邪魔にならない高さで勝手に振っててくれる機械の腕を誰か開発してくれないかなー」くらいにしか考えてない。相変わらずペンライトには悪意もないが興味も無い。うちわを振る方が好きなので、うちわ狩りに遭った時の方が発狂してた。私の大切なものをお前たちは奪うのか。まぁ叫びながらポンポン作ってましたが。
それはそれとしてお金を払った客として、自分のやりたいようにペンライトより双眼鏡を優先してる場面は多い。
たぶんきっと「一体感が欲しい」という希望に対しては、双眼鏡を見てるなんて
最も反してて最も「悪!!!」ってなる行為だろうと思う。
ただ、私は一体感という物作りはあくまで自主的に参加してる立場であって、私のお金と時間は見たいものを見るために費やすものなので
そこはそれとして、知らん!!!!って思って私は払うお金の分だけ、自分の見たいものを見る。
それはそれ、これはこれなので。両立する限り両方やるけども、最後は「知らん!!!!!」になっていいものだと思っている。
っていう、単に私のペンライトに考えてること、という話。
Snow Man2D.2D. 配信デビューライブの感想メモ
デビューライブの配信、全ステしたくらい楽しかったので感想メモしました。
配信なのに9回やるとは……?って思ってたけど、実際みたら本当に9公演4日間が、秒で終わった……
終わっちゃって寂しい。
※レポじゃなくて、見た個人の感想です。
メンバーがどの公演でどんなことしてた、とかそういうレポ要素は一切カバーしてません。
初っ端。
めめのイヤモニが黒と青で、胸がギュッとなった。
メンカラ青。いつイヤモニを作ったか分からないけど、いつ作ってもきっと彼は青を使ったろうな、って感じる。
彼にとって大事なものを繋いでいるんだなって、ギュッとなった。
別の回を一緒に見た、公演初見の友達が初っ端に
「マイク全員白なのいいなーー今まで他のグループで1人が白とかはあったけど、全員白ってのは、わーーすごいなーーー!」
って大盛り上がりしてた。
装備品見る前に、人を見ろ。これだからオタクったら(褒めてる)
■MIH
配信なのでぐるぐる回るゴンドラ面白いなぁと思ったけど、実際スタンド北ブロック一桁番台の10列とかから双眼鏡もなくあのゴンドラの下でぐるんぐるん回るすのーまんを見たら正直
「なんかちまちましたことしてるな」
って感じたような気がする。
すごい大変なことをしてるけど、その大変さと客席に伝わるすごさがなんか見合ってないような……?
大きな会場で、小さなことをしては、いけないんだ!!(過去にドームで何度か叫んだ言葉)
あとは割とレールだったり引きのカメラワークが多かったけど、客席の電飾が付く前なので、カメラが引いてくれてしまうために真っ暗闇の無人の会場感が強く、オープニングの盛り上がるべきタイミングで、孤独感を強く感じてしょぼんとしてしまった。
さびしいなぁ。さびしいなぁ。
電飾つけるか、そこまで引きのカメラワークじゃない方が嬉しかったなぁ。さびしいよぅ。
ちなみにカメラワークは初日初公演のときにだいぶ怨嗟の心を持ったけど、翌日から著しく変わってて「どうしたの?!」とか思わず言っちゃった。
ら、Twitterの世界でも皆同じこと叫んでて笑っちゃった。
オープニングMIHというセトリに、なるほど。
この曲って、例えばメインステで組まれたセットにいて、それぞれ踊らずただ立ってたり座ってたりしながら歌ってても1曲いけるんだな、それでもめちゃくちゃにカッコイイな?っていう新たな気づき。
■Cry out
この曲を会場でスピーカーで聞いてたら体に音が響いてきたんだろなぁ
音の振動を感じたかったなぁ。本当にそれは、会場じゃなきゃあの音にお腹が震える体感は出来ないんだよなぁ……会場行きたいなぁ……。
まぁ、全落組だから普通だったら体感どころかこの曲を聴くことすら許されてないんだけども。
本当に私にとってとんでもなく棚ぼたなんだよな……ありがとう、落選者を出さない、全員が見られたデビューライブ、本当にありがとう。
ああそれにしてもこの音会場で聞きたかったなあ(ループ)
■PPP
なにその9枚のムビステかわいい。
会場の天井席から見ても、ワクが光ってるからたぶんかわいい。
今まで自担ロックオンだった弊害で、宮舘さんの高音を今回初めて知った。地味に衝撃受けた。やだ……かっこいい……
そもそもこの曲が好きすぎて、感想や記憶が吹っ飛んでいる。
■メンバー紹介RAP
普段モニターなんて一切見たことないので歌詞が画面にある新体験(ここまでも歌詞はずっと画面にあるのに、舞い上がっててあまり認識出来てない)
モニターをほぼ見ないのはJr担の習性だと思う。バックはモニターなんて映らないから、見るという発想がいまだに無い。自分の目しか信じてない。
コントロールされるペンラがあるのなら、覗いてるレンズに歌詞等の字幕の出る双眼鏡やオペラグラスも開発されて欲しい。需要は私にある。
あと私はふっかさんの「じゃぁあ、いこっかぁあ」がなんかよく分からないけどめちゃくちゃ好きらしい。
たぶん会場に居たら笑いじゃなくて全力でキャーーーーーー!!って叫んでた自信がある。
ただし周りからは浮いたかもしれない。
■D.D.
デビューコンだからセトリはD.D.始まりなのかな?
っていう安直なオタクの発想いとも容易くぶち破ってくる上に、紹介ラップで会場温まって一気に皆のコンサートに対する集中力があがったとこで、映像で一拍置いてからのD.D.。
すげぇ。構成がすげぇ。
お客がどんなテンションの波にいるかまで考えられてる。
オープニング一発目って、最初から集中力MAXで爆発出来る人もいるけど、まだテンションは現実から離れきれてない人も結構いるものね。
元々クリエの頃からすのーまんって構成がすごく上手だなって思ってて。
これまで色んな数多くのコンサートみてきたけどその体感で、曲と曲の繋ぎがぶつ切りだったり、コーナーで分離しすぎて流れが分断してたり、見てる側のテンションや集中力がジェットコースターみたいな高低差になるサンドイッチ構造してたり。あとはずっと「強」「強」「強」「強」「強」「強」ってかっこいい強い曲を続けても、それはそれでテンションが一定すぎて中だるみしてしまったり。色んな現実に引き戻されるポイントがあったりする。元々周囲に気を取られがちなので、余計に空気に左右されやすいです、私たぶん。
すのーまん、クリエの最初の時からその辺の構成は全然違和感を感じなかったので、昔からそういう「見てる側」の視点で作られてるんだろうなって感じる。
レポとかで流れる「〇〇コンセトリ」って並んでる曲名見てるだけでは、意外と分からない要素だと思う。曲の繋ぎが自然でテンションが途切れず流れるようだ、というポイント。
ある意味「違和感がない」なので、スルーしちゃえるポイントでもあるんだけども。
自分たちがやりたい構成とか自分たちが見せたい構成でなくて。ファンが見るための構成なんだろな、という印象。
いや、知らんけど。(伝家の宝刀)
■挨拶
お客さんの反応がない中でボケ倒すこーじのメンタリティまじ。
ふっかさんは、まぁヤり逃げみたいなとこあるしなぁ。
……お?言葉のチョイス間違えたな?キャッキャッ(セルフ)
■ひらりと桜
えっっっっっっっ???
ライブ会場で!!ひらりと桜が!!見れたんですかッッッッ!!????
今後もライブでひらりと桜が見られる機会に恵まれることはありますか?!!??
舞台のオープニングで見るのと、ライブの1曲として見るのではまるで違うので、ぜひまたチャンスを、チャンスを欲しい。
そのチャンスがきたとして、そのチケットがご用意されるかどうかはまた別の話だけども!
今回、舞台では見られない「歌詞を読みながら歌が聞ける」という環境で、一番心に刺さったのはひらりと桜かもしれない。
分かってたけど改めて「栄華を極めた華は継ぐる種を花咲かす」とか、色んないにしえの想いが重たい。
あと背景のLEDまでは耐えてたけど、最後桜吹雪が決め技で配信画面的にはモアレモアレ&モアレですんごいことになった。
ブルーレイ(?)発売するってよ、嬉しいねぇ。助かったねぇ。
■ブギウギ
2チームで向かい合うところがとても好き。とっても好き。
「間奏のフォーメーションダンス、振り付けが正面から定点で見るように作られてるんで、カメラハンドで右からぁ~左からぁ~って画に動きわざわざ作ってくださらなくても!!大丈夫なんですけどね!!??知らんけども!!!」
って全公演で叫んでた。
映像作成やってる友達に昔聞いた「一部の監督やカメラマンは、画が動いてないと不安になってカメラをとにかく動かしちゃう病気にかかってるから」という言葉が頭をよぎる。
そして三半規管最弱の私は画面に酔う(D.D.のMV今だに見れない人)
あと確かブギウギだった気がするけど、さっきの桜吹雪の比じゃない花火と炎の特効で「画面wwもうwwなんもwww見えんがwwwww」ってなった。すっごい笑ってた。
ブルーレイ発売するってよ、嬉しいねぇ!
■Acrobatic
Twitterで「開いて閉じて開いて閉じて掻いてイケメンってなに。」
という至極真っ当なコメント見かけて、めっちゃ笑った。
すの担にとって当たり前になり過ぎていて、普通意味がわからないものだという認識が抜けていた。そりゃそうだ、意味わからないな。
お客さん皆でこの振付をやって欲しい、という意図でその振り付けを分かりやすいフレーズで曲に合わせて言ってたら、振付そのものよりもコールアンドレスポンスとして成立してしまった、という謎の進化を遂げたパターンだものな……すの担だれも進化に疑問を持っていない。
ところでこの回転するポールの人力移動トロッコ(?)、私の記憶だとここでしか使われてない気がするんだけど、一回の移動のみの使用だとしたら使い方セレブすぎない??デビューするとそんなセレブになるの???
■ナミダの海を越えていけ
音源化すると思ったらされなくて、いつだろういつだろうと音源化待ちしてるうちに知らないパートが聴けてしまった。
元々曲が好き歌詞が好きだったけど、コンサートで聞いてるとイメージが本当に湧く。
この歌でお手振りしながらそれぞれアレンジされたツアーTシャツきて外周を回るSnow Man。ちょっと小走りで手を振ってるメンバーの後ろからちょっかいかけてたり、客席見て手を振ってる人の後ろを歩きながら通り過ぎるときについでのように腰に手回してたり、曲の終わりの方でメインステージに戻らなきゃいけなくて慌てて走ってるんだよね(すべて強めの幻覚)
■Snow World
はいカワイイ(初見の配信の時からずっと言ってる)
会場で、双眼鏡で、見たい(席運が天井席前提)
わちゃわちゃしてるその瞬間を切り取りたいんじゃなくて、その前のどんなわちゃわちゃするか相談したりお互いの出方の気配を伺ったりしてたり、終わったあとに笑ってたり何も無かったかのようにスンッとしてたりとか、そういう……そういう一連の流れすべてひっくるめて、全部見たいんだ!!!歌うその瞬間だけじゃなくて!!その!!!前後の!!!
そんで一人(1組)分しか見れないから、公演後に友達たちと集まって、それぞれの担当がどんな風に誰と何してたか皆でお茶しながら報告し合うんだ。
全員が「へー!そんなことしてたんだ!知らなかった」
って自担以外何してたか誰も知らないから、永遠に会話は噛み合わないんだけども!
あぁー……会場行きてぇなぁ……(そもそも落選者)
■Stories
なんか後ろに映ってた映像がMVみたいな、サイバーのようなコンクリ打ちっぱなしのような感じでカッコよかった(配信でも会場でもいつも変わらない、映像とか照明とか見ちゃう癖)
てか、この曲でMCいくとか、私的に最高なんですが!
クソ席マイスター(誇り)の私の個人的な見解だけど、客席トロッコやお手振り曲で終わってそのままMC行くのってリスクあると思うんだよね!!
お手振り曲とかトロッコって一見、タレントからしたら会場のテンションがキャァァァァァァって最高潮に盛り上がった勢いでMCいって「盛り上がってるか!」って言いながら座らせるけど、
お手振り曲やトロッコって盛り上がるのはタレントを中心にした世界であって、遠いところの人は「下界……なんか楽しそうだなぁ……ふふ」ってめちゃくちゃ冷静になってるターンだから、そういう席からするとテンションが冷静になってるとこにそのまま着席してMC挟まれると、コンサートとしてはだいぶテンション落ち着いちゃってる。ケツが椅子にくっつく。
トロッコ→お手振り2曲→MC、とかされるとほぼほぼのんびり休憩タイムと化す。MC後にちょっと落ち着きすぎて、立つのが億劫になってる時もある。
ので、ダンス曲からMCに行く、という構成が私は大好きだ!!!例え会場にいなくても!!!
■MC
基本的にMCの枠が短めで
「なんで休憩ポイントを自ら削ってるんだろうこの人たち」
って真顔になった。
宣伝が多いけど、ただ宣伝せずに話広げながら必ずあれやこれや話して聞いてて笑えるようになってて、宣伝が退屈でないことに感動した。
あと最終日朝のふっかさんの土下座謝罪(代理含む)めっちゃ笑った。
もしかしてふっかさんって、単品で数秒のモノマネやってあやふやな反応貰うよりも、モノマネを含むコントの方がめちゃくちゃ輝くんじゃないだろうか。
と思うけど、テレビでよくある「へー。ちょっとじゃあ折角なんで何かやってみてよ」的な、軽い差し込み求められる場面で使えないね。
そうだね。コントで輝いた姿見たいけど、うーん、見れそうもないね。テレビって難しいね(爆速の諦め)
■キッシン
曲名英語打つのを諦めないでください、私。
もうこのピンクの衣装が好きすぎて、「ヤダヤダヤダもっと色んなとこでこの衣装見るの!!」ってずっと駄々こねてる。
あとキッシンの赤手袋を標準装備じゃなくて、キッシンでのみにしたの、本当に本当に強い。ずっとは違うんだ。局地的にお出しされる手袋、いいよね。グッとくるよね。オタクはノイナが好き(分母クソデカ発言)
ただ。移動距離とか考えると、配信じゃなくて会場の普通のライブでもこれくらいの間隔でやってたのかな?それとも配信じゃなかったら、もう少しステージを広めに使ったんだろうか?
元々ある程度テレビとかに向けて振りを作られてる部分があるので、この広さのままだと、もしかして会場で見た時に「ちいさいな」って印象はもしかしたらあったかもしれない?ifの話なので、見なきゃわからないけど。
あとはひたすら友達と誰の衣装が最高か議論をし続けていた。結論、こーじのベレー帽は天才の所業。あとどんな衣装でも渡辺さんはコンスタンスにとても良い。ずるい人だ。
■終わらないMemories
歌詞に想いを乗せる重さに定評のあるSnow Man(先輩曲のみのクリエの時からの定評)
確かにすのーまんのオリ曲、ラストに相応しいしっとりした曲は多いけど、中盤でやれるようなしっとり曲、少ないな……?
アルバムが出るようになったらその辺増えそうだけども。
てか「おわめも」って略すことを初めて知りました。
■DHB
舞台向けの曲って印象があったけど、ライブで聴いたらライブ向けだった。全然舞台飛び出してもバリバリかっこいい曲だった。
すみませんでした(なんでそれ、去年気づかなかったの?)
それにしてもムビステがバインバイン揺れてて、普通こんなものなの……?初日から最後までずっと「バインバインしててほんと怖い」って言いながら見てた。
■ファンターナモーレ
CDで聞いた時は「ふーん明るい曲だね」くらいしか感想なかったのだけど(好みの問題)、ライブで聴いて
「ライブにこういうの大事!!差し込まれるこう言う曲いいよね!!!ファンターナモーレいいよね!!!」
って手のひらドリルした。
あとこの曲でマイクスタンドとかズルすぎる。
■ZZL
この曲で踊らなくて心から安心した。
そもそもこの曲初披露時から踊りすぎてて回りすぎてて、いついかなる時も見てて「この曲そんなに沢山やらなくていいんだけどな……何か事故りそうで怖いな……」という不安にかられてたから、心から安心した。
純粋にやっぱ曲が好きーとか言えるくらい心穏やかに見れた。
■君の彼氏になりたい
元々頭にこびりつくタイプの曲なのに、更にダンスがついてしまい、大変な事になった。更にYouTubeも合わさって、もっと大変な事になった。
渡辺さんの「帰れ」(心底めんどくさそうな声と顔)は、「帰さない」よりもはるかに心に渡辺翔太を突き刺してくるので、本当にずるいです。私の性癖にとても清々しく刺さります。
24日の朝公演の「帰れ」で直後に「???」ってなってるこじラウとか笑っちゃってる本人も好きですが、同日夜公演の「帰れ」は、それが多くの女に突き刺さる魔性のワードだと知ってしまった渡辺翔太で、それはそれで大好きでした(なんの話)
■Lock on
最終日、全公演で遊ぶふっかに笑って歌えない渡辺さんが好きです。ゲラにあれはズルい。
あとどの回だか覚えてないけど、ラウが持ち上げられてセリフ言い終わったあと、下ろされるときに落ちたラウの「ギャー!!!」がそのまま聞こえたのがめちゃくちゃおもしろかった。
普通ライブでは絶対に聴けるはずのないすごい声が聞こえてきた。おもしろすぎた。
■バニシングオーバー
絶妙なかっこよさと絶妙なダサさがいりまじって、私は映画少年たちみを感じていた。
そういう意味でカッコ良さもあるから困る。
カッコイイんだけど、じゃあ「カッコイイ!」ってテンションで真剣に見ようとすると「なにその演出」ってなるので、テンションの置き所がとても難しい。
あとTwitterで見かけた「後ろの赤いやつが年末ジャンボ宝くじに見える」というのに毒されて以来、年末ジャンボ宝くじにしか見えなくなった。
■ダンスコーナー?
ジャニーズJrコンサートの謎のダンスバトルみある。
てか、何でこの人たちは休憩ポイントにしていいはずのとこで動いてるんだろうか。
マジで休めそうなとこはどんどん休んで欲しい。
■CFB
この曲をこのセトリのこのタイミングで入れてきて、この人たちはマジで何をどうしたらこうなっちゃってるんだろうか。と真顔になった。
普通ライブ後半は出演者の疲れがたまってくるので、公演の前半にダンス曲を持ってきて後半はバラードやお手振り曲が多い、というテンプレをそもそも以前から
「ラストの死にかけてるとこでガッツリダンス曲を並べる」
という謎のドM構成をしてきたSnow Manは、9公演配信ライブでもとってもSnow Manだった。休んで(だんだんそれしか言ってない)
でもカッコ良さにどうでもよくなっちゃう。悔しいビクンビクン。
■IX Guys Snow Man
セトリを手で書き出してたときに勢い余ってGaまで書いてしまったのを目ざとく友達に見つかった。
やめろやめろ英語が苦手なだけなんだ、そっちの単語を書きなれてるとかじゃない、やめろやめろ私をいじるな。
トランポリンになんか既視感があるなと思ったら、長いことずっとボールは友達だったバスケだ。あいつだ。
Bメロの向かい合ってリズムを取り合う治安の悪いチャラなべふかに初見の時に悲鳴を上げたが、最後までずっと何度でも刺さり続けて、めちゃめちゃチョロいファンだった。ダメだよ……ああいう危険物は取扱い注意なんだから……。
でも友達もさっくんのハッハァ!みたいな治安悪い煽り?フェイク?に毎回「ふへっw」て声が出てたから、オタクはみんなチョロい(分母クソデカ発言2回目)
■D.D.
ここからアンコールぽい感じ?
だとしたらさっきで本編終わりなんだろうか?配信だから?全然終わり感なかったけど。
普通にライブやってたら、ラスト感のある曲をやって一度はけて、その後にアンコールでD.D.だったのかな。
だとしたら朝焼けの花は本来のライブの作りならそこに入る感じなんだろうか(小声)
最後にぴとっと並んで一段一段降りてくるところ、とても好き。
最後の挨拶は、9人の色んな思いが毎公演ありすぎて、私はもはや正確なものを覚えてないので、それを噛み砕いたり掘り下げてどうのこうの言うことは、もはや出来ないです。
文字のレポはTwitterとかにあるけど、言い方とかその場の空気とか間とか色々含めての彼らの心から出てくるメッセージだったので、聞いたその時その瞬間はその言葉を強く受け取ったけども、変に今記憶から引っ張りだしてもバイアスかかってしまうだろうし、止めておきます。
でも、9人の全部の公演の全部の言葉が、重たくて、でもとても素敵な言葉だったと思います。
コンサートとしてはまず、たぶん文字でセトリを見る以上に、繋ぎでひっかかることがない流れるような構成だなって思います。
また、全曲オリジナル曲でほぼ手持ち全曲出し切ってるので、数ある手持ち曲の中から適したものを選びとってるわけじゃないにも関わらずそれが出来ているところで、もちろんオリジナル曲に恵まれていることは前提として、そういうところにもセトリの構成力の高さがあるんだろなと思いました。
かつ全曲がMCも含めてステージ上に9人揃っており、ソロ曲やユニット曲は一切なく、またメドレーやコーナー的なものも無いので、恐らくそこに強いこだわりを持って作られた部分だと思うのですが
出ずっぱりになる体力はもちろんのこと、衣装替えとか色々と「表で全員出ずっぱりにするためには、じゃあ裏はどう回すのか、どのくらいの長さの映像の繋ぎでいけるのか」とか必要で、そんな色々と裏側で制約が多いものをあえて作れるのは、これまでのステージに立った経験の多さがあるからこそ出来ることなのだろうなぁと。
Jrとしてバック仕事が多いってことは、逆に言えば、デビュー組であれば1年に1ツアーとか1舞台しか経験しないところを、月に1ツアーや1舞台、それを12ヶ月……ってバンバン経験して立ってることなので。
結果として年間200ステージ以上とかいうとんでもない仕事量になってたわけで、舞台やコンサートの場数はとにかく他に引けを取らないSnow Manの兄やん組ですが。
そんな中で、培ってきたものを最大の武器として活かしきっているコンサートだったのかな、というのが私の感想です。
まぁ、と言うかずっと、クリエでもずっとそういうものを作り続けてきた人達だと思うので、「最近できるようになったこと」というわけでは無いと思うのですが。
むしろデビューライブだからこそこれまでの経験の集大成であり、その進化系でもあり。
念願であり、でも通過点でもあり。
なんかそんな風なライブに感じました。
いやーーー。楽しかったなーーーー!!
配信だからこそ、沢山の会場には行くことの出来ない人も零さず全員見られたっていうのは、すごく奇跡的なことだと思うなぁ。
私のように単純にチケットがひとつも当たらなかった人もいれば、なかなか足を運ぶことが難しい人、ハマったばかりで申込み後だった人、会場に行くのはちょっと敷居が高いと感じる人……
きっと色んな人がいて、もちろんチケットが当たってて本当は自分はこれを会場で見られたはずなのにって悔しい人もいて、様々な想いはあって、誰より空っぽの会場を眺めたSnow Manが一番強い気持ちと想いを抱いたのだろうと思うけども。
でも、「次また、会えるように」という約束をしっかりと貰えた気がします。
楽しい、ライブでした。
Snow Manを応援してきた身として感じること
Snow Manのデビューライブが、2020年10月22日~25日の4日間、計9公演で行われている。
24日までの公演が終わり、残すところあと一日、3公演のみとなった。
この中日にブログを書きたいなと思ったのは、この公演で彼らがずっとこれまでの想い、周りの人への感謝の想いを
見てる人が感動さらにはもはや困惑するほど、ひたすらにただひたすらに伝えてくるからだった。
感化された、という感じなので
「ヤベェ。なんかいきなり語ってるぞこいつ」
という内容です。
たぶん冷静になった時に私はまっさきにこの記事を消したいと思うよ。絶対。
コンサートの終わりの挨拶で、言葉に詰まりながら、迷いながら、それでも伝えてくる言葉は見る人に「心からの言葉なんだな」と思わせる熱意がある。
私は少し前に滝沢さんがSnow Manを、「彼らは、見てる人にこいつらのために何かしてやりたいって気持ちにさせるものがある」(ニュアンス)って言ってたことを思い出した。
こういうことなのかな。言葉が気持ちが、ああ本物の飾らない彼らの想いだ、とまっすぐ伝わる。それは確かに、唯一無二の才能かもしれない。
ファンへ向けられた言葉も、数多くあった。
ここまでの道のりを、応援し続けてくれたファンがあるからこのステージがある、と。
それは自分たちのおかげではない、と言い切ってたりもした。
謙遜しすぎ、という声も聞いたけど私はそれを謙遜とは思わなかった。
彼らは、本当に長い時間めちゃくちゃ努力して悔しくて乗り越えてまた壁にぶち当たって破り方が分からなくて、それをとにかく努力して頑張って頑張って、すごく頑張った、という自負がきっと強くあると思う。
その上で、あれ程にもがいたのに、それでもなお自分たちだけでは到達できなかった、という想いの言葉なんだと思った。
謙遜ではなく、自負なんだと思った。自分たちの力を努力を誰よりも知ってて誰よりも信じている人達だと思う。
その上でなお、遠かったと。やっと、と。皆が居たからここに立てた、と。
そう伝えてくれているのだと、私は勝手に思っている。
その上で、ファンとして思うことは。
ファンは、私は、本当にそこまで役に立てていただろうか、と。
もちろん、一定のところまでの役立ちは、めちゃくちゃあったろうと思う。
あったからここまでこれた、という言葉自体は、きっとそうなんだろうなと思えてしまうほどに、ファンの力は大きかったと思う。
私が感じる限りではあるが、Snow Manのファン、というのは「なかなか離れない」という印象がある。
ジャニーズ、多くのタレントがいて多くの新しい存在が出てくる中で、なんていうか「Snow Manのファン、何だかんだ言いながらずっとそこから動かず応援し続けてるな」という印象がある。
元々Jr担というのは、割と数年くらいでいわゆる「担降り」をする人が多い。そういうシステムで界隈が回ってる部分もある。
その中でSnow Manファンは「何年経ってもこの人たち、皆ずっといるな」というような、そういう空気が、しかもかなり広い範囲であった。一部とかじゃなくて、そういう人が多数だった。
「一部の熱烈なファンを抱えている」みたいな揶揄もあったけど、それがJr界隈においてどれだけ強いかを、Snow Manは示していた。
どれだけ雑誌に載らなくても、少クラに呼ばれなくても、1年のルーティーンがあんまり変わらない同じ仕事が続く月日があっても、それをものともせずに応援する離れないファンが沢山いることが、どれだけ強いかを示していた。
ものともせず、とは言ったけど、多分きっとファンは色々と文句とかぶつくさは言ってたと思うけども(笑)。
それでも公演とか何かしらあれば、全力で応援してた。
Snow Manは今、たぶんきっとそういう応援してくれた人への気持ちを、伝えてるのだろうな、って感じる。
その上でその中のファンに含まれる私は、思う。
ファンが出来ることは、少なかったのだと。
私たちは、私は、それで一体何ができたのかと。
2012年に滝沢さんが言った「Snow Manを彼らを育てる、面倒を見る」という言葉。相変わらず私はニュアンスでしか覚えてないけども。記憶力ないから。
彼がただそう思っただけなら裏でSnow Manに直接言えばいいことを、わざわざコンサートのMCで言ったのは、私たちファンにあえてそれを伝えるためだったのだと思う。言葉にすることで、ある意味では約束してくれたのだと思う。その場の安易な気持ちではないと。最後まで面倒を見ると。
そして彼は本当に宣言通り、何年も何年もひたすらずっと、Snow Manを教え、育て、面倒をみていた。恐らく今もずっと。
あの何気ないMCの簡単な言葉1つが、こんなに重みを持つものだと当時の私は思ってなかった。
いや、言葉にすれば責任が伴う重みをもつことを分かった上で言ってるのだろうな、とは思ったけど、ここまで辿り着くものだったとは、まるで思ってなかった。
その中で滝沢さんは、Snow Manだけではなく、Snow Manのファンにも、何度も色々と伝えてくれた様に思う。相変わらず言葉とか詳細な記憶はあんまり覚えてないけど。
舞台の上から、Snow Manに向けてでは無く、客席の私たちに向けて直接「Snow Manも頑張らなきゃいけないけど、あなた達も頑張らなきゃいけないんだよ?Snow Manを大きくするのは僕じゃない、あなたたちなんだよ?」と。そういう言葉を、何度も何度も、受け取った。
私がSnow Manのファンとして感じるのは、他のタレントでSnow Man越しではなく、直接私たちと向き合ってくれた人は、滝沢さんくらいなような気がする。「Snow Manの後ろにいるファンの子たち」じゃなくて「あなたたち」という、そういう扱いをされた。
その熱意を何年も受け取り、だんだんと
頑張るって、どうしたらいいんだろう、と。
私は、途方に暮れた。
始めは、とにかく数字とか実績とか、形として見えるものを残そうと頑張った。
雑誌に感想やアンケートのお手紙を書いたり、テレビに出たら放送直後にテレビ局のお客様センターに電話して番組の感想を伝えたりした。メールとかフォームの感想より1本の電話の方が局にとっては大きいという知見も得た。
でもそれを数年やってくうちに、「これ……ホントに役に立ってる……?」という不安にかられる。
いや、立ってないことはないのだけど、そこから先はどうもこの手法では進めないらしい、と。これではダメなのだと気づき始めた。
Jrとしてそれなりに仕事が舞い込んでくることには繋がるようだけど、そこから先に進むには、この応援方法ではどうやら全然ダメなんじゃないか?という空気を感じた。
でも、声や反響や数字や売上とかで殴り込む以外に私は手段がもう分からなかった。
滝沢歌舞伎で何度も「Snow Man、早く卒業して下さい」と滝沢さんに笑い混じりに言われた。
ファンの目から見て、Snow Manは月日を重ねる毎に得意をのばし欠点を無くして、びっくりするほど成長し続けていた。毎年これだけのことが出来てすごいMAXだと思うのに、次に見るとそれを更に超え続けてた。
Snow Manはすごい。でも、卒業出来ない。
じゃあそれはもうもはや、私たちファンが、やるべき事を出来てないせいなのでは……?
だってSnow Man本人らはとっくにもう、すごいよ?
それでなお足りてない、出来てないものがあるとするなら、それは私たちなんじゃないのか……?
それでも私は、Snow Manの卒業のためにファンが何をしたら良かったのか、最後まで見つけられなかった。
何一つ、デビューのためにはファンはこれを頑張ればいいんだ!というものを掴めないまま、彼らはデビューを掴み取った。
ファンが、一体なんの役に立ったのだろう。
私は、なんの役に立ったのだろう。
それでも、良かったと強く思えていることが今はある。
私は相変わらず、声や数字で殴り込むしか手段を知らない。もうずっと長いこと、それしか知らない。
でもこれらは、数だから。ファンが多く、大きくなればなるほど、めちゃくちゃに意味を成すのだと、今証明出来ているような気がする。
デビューして、2020年にとにかくいっぱいのファンが増えたことで、それしか知らなかった「声」や「数字」が、とても意味のある大きなものへと変化した。
新しくファンになった人達に、一方的に感謝の気持ちを伝えたくて仕方ない。
おかげで、それしか頑張る方法を見つけられなかった数字とか反響とかそういうものを、Snow Manにとって大きな価値あるものに、彼らの役にたつものにしてくれた今のファンの人達に私は、一方的に、誰だよお前って謎の立場から、ありがとうと思う。
Snow Manを応援してて、良かった。
もちろん、彼らから貰ってるものはあまりに多すぎて、全然返せないのはこっちのセリフだという頑固な気持ちはあるけども。
Snow Manを取り巻くもの全体に、ああ応援してて楽しいなぁ幸せだなぁ、と今は強く感じてます。
さぁ。あまりに隙自語すぎて、冷静になったら絶対に消したくなる記事だと思うので
準備をしておこう。
隣の客席に、恐怖を覚えたこと。
過去何度かSNSとかで発信した事もありますが
世の中、なんかよくわからん事もあります、という事を少しでも人の目に触れるとこに置いとこうかなと思うので、記事にします。
多発するようなものでは無いと思いますが……世の中何があるかわからないね、という程度にでも頭の片隅に残ると、いざ何かあった時に頭真っ白にならず、きちんと対応出来る余裕が生まれるかと思うので。
それは、新橋演舞場で滝沢演舞城が行われていた時でした。
私の記憶の仕方で言うと「ふっかさんが三郎役をやってた」時です。ふっかさんでしか記憶出来ないのか私は。
いつもの様に一人で見に来てた私はやることも無いので公演前に座席にいました。1階最後列の上手側通路脇です。席運の良くなさに定評ある。
隣の席は30代か30前後くらいの、なんというかあまりおしゃれではないため年齢が不詳なタイプのぼさっとした印象の男性でした。
その方も一人で来ており、滝沢さんのファンで、男性なので居心地が悪いので開演まで話したい、とのことでした。
私が席に来る前までは反対側に座ってたやはり一人で来ていた女性の方にも話しかけていたのですが、そっけない返事しかされておらず、そのまま私に話しかけたようでした。
ちょっと話し方や一方的に話す感じなど今でいうコミュ障感もありましたが、まぁそういう人もいるよねくらいでお話されているのを相槌うって聞いていたり、「この前の滝沢ソロコンのパンフを持ってるから、見ていいよ」と差し出されたりしました。割と強引で断っても推してきたので、衝突するようなことでもないのでまぁ見させていただいたり、ちょっとやっかいな方だなぁ……くらいでした。
その時に誰のファンだと聞かれたのでSnowManの深澤さんだと言うと知らないと言うので(知られていない事には慣れていた。さすがに滝沢さんのファンでこの時SnowManを知らないと言われたのは初めてだったが)、このパンフのソロコンのバックについててMCで喋ってた人達ですよーと言うも「わからない」と言われ、私は「ん?ほんとにこの人公演見たの??」という言葉は飲み込んで、早く開演しないかなぁと思っておりました。
開演すれば、解放されると思っておりました。
そして暗転、開演。
上手側の座席だったので、SnowManや花道を見ようと顔を下手側に向けると、私の左隣に座っている男性は、何故か私に顔を向けこちらをガン見している。
恐怖でしか無かった。
花道を見てしまうと近距離で目が合い顔が向き合ってしまうので、私はその瞬間から、もう左側が怖くて正面しか向けなくなっていた。
正面を向いても、視界の左側で前を向いたりこちらを向いたりしている男性がいるので、そっちに全集中力もっていかれた。
もう自分で何を見てるのかも、まったく頭に入ってこなかった。
会場を知ってる人ならわかると思うが、最後列ではどんな演出だろうがまず真横を見ることなんて、公演中絶対に有り得ない。客を見ようとしない限りは。
1階20列という最後尾だったため、手元には双眼鏡を準備していたが、こんなものを覗いてもしも自分に何かされたら、視界が狭まっているので被害に遭うまで気づけない。怖すぎて、双眼鏡なんて覗けるわけもなかった。
あと花道に滝沢さんがいる時もこっち見てたので
「テメェ!!自分の作った滝沢担ですっていう設定くらいは守れよボケェ!!!!滝沢さんダシに使ったな!!!!〇す!!!!」
ってそっちで脳内でキレ散らかしてた。ゆるさん。
係員に言うべきか、迷った。
でも、具体的に何かされたかと言うと、何もされてない。
ちょいちょい、こっち見てた、と言うだけである。
今だったらそれでも私は係員に言ったと思うが、その頃の私は、この程度で言っても「じゃあこちらもちょっと気をつけて見てますね」とか言われるだけのその程度のものだろうと思った。
この恐怖を、何をされたという、説明が出来なかった。
それはそれとしてストレスで叫びたいほど怖かったので、横の通路をSnowManやJrが通る度に、「たすけてぇぇぇこの席やだぁぁぁ」って泣いて言いたかった。ほんっと言いたかった。
そこから一時間、恐怖とパニックと左側に最上級の警戒を続ける時間が続いた。
公演なんて見てない。記憶にもない。
幕間。何か話しかけられたが、私はトイレに逃げた。ブザーが鳴るまでロビーに逃げた。
座席に行った時にも何か色々話しかけられた気もするが、もはや開演前のまだまっとうに返答していた私はいなかった。「はぁ」とか曖昧に言うくらいしか出来なかった。
2幕。
先程「ふっかさんが三郎役だった」と言ったが、実はこの公演、マシュマロ食べてたくらいしか覚えてない。
この時私は2公演しかチケットを持っておらず、2階右列端(ステージなんも見えない。出演者の顔も機材で見えない)からのここだったので、このチケットでちゃんと公演を見ようと思っていた。
私はこの年の公演の内容を、ほとんど何も覚えていない。ステージ見るどころではない3時間を過ごした。
男性は最後までこちらをチラチラ見続けていた。
お前も12000円何に使ってんだよ。
最後まで恐怖しかないまま、公演後とにかく一刻も早くここから立ち去りたかった。
お茶でも……とか言われたが、用事があるから急いでいると上着もカバンも抱えて席から離れようとすると、男性に言われた。
「じゃあ、最後にハグしませんか?」
首振って全力で逃げた。
正直、いまだに意味がわからない。
何ハグって。
なんだお前渋谷のフリーハグかよ馬鹿かって心の中で罵倒しながらまっしぐらに電車乗って帰った。後付けられるとかも怖かったので、何度か駅やホームで振り返ったりもした。
私はいまだに、わからない。
相手が何を思って何を目的として何をしてたのか、まったくわからない。
少なくともFC入って12000円のチケット代を払って来ているのだから、私はもしかしたら深く考えてないコミュ障のライトファンな男性を一方的に危害を加える人だと判定していただけかもしれない。
現に、何かされたかと言われれば、何もされていない。とも言える。
言葉にすれば、私は不快だった、と言うだけでは無いのかと思う。
今だったら、もしかしたら劇場に伝えたら「舞台に集中できない」というだけでも違う席とか案内してくれるかもしれないと思うが、当時の私はそんな対応してくれると思ってなかった。実際こういう時どういう対応するのかは分からない。劇場次第かもしれない。
こんなことは頻繁にある事でもないと思う。
ので、「注意喚起」と言うほど誰かが当てはまるような事例でもないと思う。
ただ、過去にこんなことあったやつもいると、知っているだけでも
もしかしたら他の件でも、「意味わからない恐怖」から「こういうやつなんか聞いたことあるぞ?」という気持ちになれることで、進研ゼミでやったやつだ!ってなるだけでも、頭がちゃんと回って、係員にすぐに言ったり、幕間に言ったり、少なくとも不快や恐怖から回避できる人がいるかもしれない。
そう思うので、とりあえずブログに記憶を残しておきます。
いやほんと、世の中なんかよく分からないこと、あるよ……みんな強く当たろう。
2020.8.22 追記
多くの方に閲覧や反響を頂きましたようで、記事を書いた意味が生まれ本当に良かったです。
私を気遣って下さる言葉も頂きました。
また拡散頂いた方も、本当にありがとうございます。
やはり「すぐに劇場の係員に伝えれば、何かしらの対応をして頂ける」ようなので、
もし今後不安や不快、恐怖を感じた方は、
ためらいなく席を立ち、ロビーや入口等の係員の方に
お話することをおすすめ致します。
あと、誰も気にしないとはわかりつつも
新橋演舞場の1階22列と記載しておりましたが、正しくは最後列は20列でした。そんな列存在しません。訂正致しました。
22列が最後列なのは横浜アリーナのアリーナ席です。このミスはオタクとして誠に残念ですね。