過去のメモと今のメモ

しばらく昔の記事のんびり移動中

御朱印を、集めていたのです。

3年ほど前から、御朱印集めをしてました。


元々私はなんだかよく分からないけど、お寺より神社のが気楽で好きなので
お参りもだいたい神社しか行きません。
お寺は誘われた時と観光の時くらいです。
なんで神仏習合しちゃったの??って1500年くらい昔の人に対して「解釈違いです!」とか言ってるやべぇやつなのですが

とりあえず、神社が好きで、よくお参りをしてます。


で、まぁ神社に行くと、お参りしてお願いごとをするのですが。


まぁ、ずーーーっと


Snow Manがデビュー出来ますように」


ってひたすら、どこにいっても、そればかりをお願いしてました。
自分のことはまぁ自分で何とかできるな、って思うけど
こればかりはどうにもならないので、神頼みするしかないので。


で、何の神様とかも気にせず、とにかく本当にどこに行っても馬鹿の一つ覚えでそればかりお願いしてたのですが、
ある時

「待って?これもし万が一願い事が叶ったら、もはや各地で願いすぎてて、どこの神社に御礼参りに行けばいいか、わからなくない???」

と気づいたそのときから、突然御朱印を頂くようになりました。

もう、あの……年単位でお願いしすぎてて、どこで祈ったか、不敬ながらまるで覚えてないっていう…………


そして御朱印を貰うようになった時点で、そのときすでに「この先も何年もかかるぞお願いごと」って思っていた、という…………

と同時に、でも御礼参りすることになると、信じていたともいう…………



お願いごとを話して誰かに嗤われるのは嫌だったし、
そんな事より自分をどうにかしなよって言われるのも嫌だったし、
叶うと信じて御礼参りのために御朱印を頂いてるというのを嗤われるのも嫌だったので、
3年以上、ひたすら
「流行りの御朱印集めしてる女子」
で、乗り切ってきました!!!!



そして!!!


8/8に、

あの時の配信を見終わったあと
部屋でぼーーーっと実感がなくフワフワしながら

「あ。もう御朱印頂かなくてよくなったんだ……そんで御礼参りにいかなきゃ……何年もかかるなきっと……でも御礼参り出来るのかー、とうとう出来るのかぁーーー……」

って、デビューの実感はなくても、御礼参りに来年から行かなきゃ、という実感はある、という謎現象を起こしてました。


その後、8/8以降に神社に行った時に「御朱印あるよ?」と言われ「今は集めてないー」と、なんか流行りに飽きた女子みたいなことを言ってますが。


こんな、なんのネタでもないのに、ブログに書いちゃうくらい、御礼参り出来るのが、嬉しくて嬉しくて、仕方ないのです。


まぁ正直、この場所にまた行けるのか……?みたいなとこは最終的に出雲大社で乗りきる気はしますが……へへ……。



来年からも、神社にいっぱい、お参りしようと思います。


今度は、「ありがとうございました。願い事が、叶いました」ってお伝えするために。

これまでのふっかさんの思い出をそっと青春の小箱に詰めよう⑤(2015年~いま)

思い出詰め込むだけなのに、何故か見込みにまるで落ち着かない行動力。
夏休みの宿題は、夏休み明けの最初の週に「持ってくるの忘れました」って言って2週目に提出するタイプでした。

年末の大掃除は年明けにすることを今誓いましたが、これは今年のうちに終わらせようと思います。




2015年。
これもやっぱり転機だと思う。


舞台「少年たち」に出演が決まった。発表された。


申し込み〆日の、2日だか3日前に。


これが無かったら、今でもすのーまんはぐつぐつしてたのかもな、って気がするほどの、転機。


元々、すとと関西から3人の出演が発表されていた。
伝説の「デザイナー、制作途中で死亡説」が評判のポスター。
あれすごい。まだ出演者が仮決定だったとしても、あの人数をあの配置にする才能は、誰にも真似出来ない。
何も知らない人に、これは公式発表されて世に出てきたんだぜ?っていって見せると、だいたい驚愕ネタ取れる。

で、なんか申し込み〆切まであと数日ってタイミングで、唐突に出演者の追加発表された。
その前日の少クラ公開収録ですのすとで歌ったという話題もあり、
「え?!そういうこと?!……え、どういうこと?」ってなった。

なんかもう通りすがりに突然知らない人からマックポテト渡された、みたいな感じで、何が何だかまるでよく分からなかったけど、
とにかく今すの担に即金を絞り出せるだけ出すことが求められている、ということだけはハッキリと分かった。

発表と同時に、〆切日があまりに目前過ぎるので、木曜締切を土曜〆切に延ばしますね!みたいな親切もあった。

親切がささやかすぎて何も嬉しくない。


バック出演の舞台の申し込みのたびに、狂ったように十万単位のお金を握りしめて郵便局に走ってたすの担たちは
メイン舞台だ!と、2日やそこらで、今まで以上の金額を即金で用意した。
抽選前に先振込みの時代だから、そりゃもう束で郵便局持ち込んでATMに吸わせてた。

たぶん、かなり狂ってたすの担の金銭への緩さが、過去最高にガバガバになった数日だと思う。

滝沢歌舞伎シンガポール公演で、フードコートですれ違う人すれ違う人、
「あー!うそ来てたのー?いつきたの?」
「そりゃ来るよー!!〇〇ちゃん達は明日くるってー!」
ってマジでそこらじゅうでやってて、あれ?ここ日本だっけ?帝劇入口かなんかだったっけ??なんでこんなにみんな大集合してんだろ?ってなって
あの時も、すの担ってクレイジーだな、って思ってた。
現地集合の私はLCCで極貧旅行しながら、みんなサイフのネジ飛んでるなって思った。


そして何かわからないけど、その後の少年たちには安定して出演したし、少クラに安定して出演するようになったり、Jrの主軸を形成するメンバーと言われた時に、すのーまんが含まれるようになっていた。
そう、それまでは半分は含まれるけど、半分はやっぱり蚊帳の外だった気がする。


私はファンの力ってあるに越したことはないけど、そこまで持ち上げるべきものではない気がするー……くらいに考えてるのだけど、
この時のすの担総出の即金パンチはそれなりに、事務所などの大人の人達に、届いたような気がする。
すのーまんの転機のきっかけの一つくらいには、なったのかな、と思った。


とはいっても札束で殴っていたのは私ではなく、マジで札の束を握りしめた人達なので
私はその人たちは本当に凄いと思っている。その人たちが作ったものは、確実にあると思う。
お金は汚くなんか、ないよ。


ついでに少年たちで初めてオリジナル曲を貰い、ジャニーさんに意見を貰ってハチマキを巻いていたすのーまんをみて
「なぜハチマキ???」と最初は思っていたのだけど
しばらく後になって雑誌で「初めてジャニーさんにもらえたアドバイス」みたいなこといってて


「   は   ?   初   め   て   ?????  」


って声に出した。
いまだにあれはさすがに誤情報で、記事にする際に何か情報が抜け落ちちゃって、初めてってニュアンスになっちゃったんだと信じてる。
全員推されではまるで無いと思ってたけど、さすがにあれだけ居て、中学生頃からあれだけバックとしては引っ張りだこで、まさかここに来るまで本当にまるで何も無かったなんてこと、ありゅ??????
無いよね。だよねーあーよかった。良かったって言おう?


本当にここからすのーまんは、Jr集合!って感じの時はだいたい参加するようになった(今まで呼ばれないこと多かった)

そのあと、どんどんオリジナル曲が増えて、少クラで披露できて、雑誌に必ず出て、ページ数まで増えて、
Jrがコンサートやるよーってなったらそこに名を連ねて、YouTubeができて。


こういったJrの中軸扱いをされるようになったのは、私はあの時お金を握りしめた人達のおかげなんだろうなって、そう思ってます。
あの時郵便局に駆け込んだ多くの人達で、何かを掴んだんだろなって。



あと私は3人に関しては本当に「すのーまんにきた最高の3人」だな、と思ってます。

未来に期待しかない。
ここまで不安ゼロで期待しかないの、本当に応援してて初めて感じてるかもしれないくらいです。


ということで、これまで「いつ居なくなるかな……」と怯えて13年間応援してた私は、もういらないので
青春の小箱に詰めました。これを詰める作業でした。


これからはもう、未来に期待しかない。



楽しみ!!! だ!!!!!!


ε=\_○ノ ヒャッホウ!!

 

これまでのふっかさんの思い出をそっと青春の小箱に詰めよう④(2012年-2014年?)

やばいよやばいよ。
小箱に記憶を詰めるだけなのにまるで追いついてないよ。
青春の小箱も年末進行必要だったの??

 

 

もう時系列も気にしなくなりました。

なんの話してるのかもわかりませんが、人の頭なんで、そんなものだと思います。

 

 

2013年。というか2012年末頃から。

岩本さんとふっかさんは、Snow Manとは別のくくりに入ることが多かった。

ファンの間での通称がなんかもう公式かってくらい浸透したので、「謎選抜」と呼ぶ。
謎選抜に、二人は入ってた。

 

山田様のミステリーヴァージンのバックについてる人たちの総称だから「謎選抜」らしいけど、「なんでこのメンツ???」という湧き出る疑問にもピッタリの呼称だった。

コレに関して、私はどうコメントしたらいいのかいつも迷う。
私の中でも、Jrヲタ的な自分と深澤担の自分が、脳内で対立意見を出し続けてた。
Jrヲタの自分としては「意外だったけど並べてみると思ったより化学反応起こしてておもしろいじゃん」と言ってた。
深澤担としての自分は「いわふかがもし選択を迫られたら絶対にSnow Manを選ぶからこのメンツでは絶対にグループにならないじゃん」って言ってた。

いっそ、この二人が入って無ければ、もしかしたらこのメンツはこの段階でグループになって別の形があったのかな、なんて頭をよぎらないわけでもないので、なんて言ったらいいのか、よくわからない。

謎選抜での雑誌対談で、ライブ楽しかった、このメンバーでもっと色んなことがしたい、と発言する下の二人と、それに関しては特に何もコメントしないいわふかと、「そうだね、できたらいいね」とだけ答える安井さんに、私は雑誌を読みながら変な顔になっていた。安井さんがずっとグループがほしかったことも知っていたので。

ただ、ちょうどBAD BOYS Jが放送されたタイミングでもあって、謎選抜への注目と人気は、とても高まってた。

 

そして、BBJに出演していながら選抜には含まれていなかった渡辺さんの目力は、なんかすさまじかった。

 

ちょうど季節は春。クリエでは各グループが日程を分け合っていた。
謎選抜と、Snow Manは別日程で確保されていた。


謎選抜のクリエにSnowMan4人揃って、見に来てたように覚えてる。

その後行われたすのクリエで、私は渡辺さんの気迫が「怖い」と思った。

いやまあ、アイライナーで眼力がすごかった可能性はとっても高いのだけども。
でも舞台メイクのアイライナーは見慣れてると思ってたけど、とりあえず私は目が怖かった。

でもその怖いは単純な怖さではなくて、気迫ってダイレクトに浴びると怖いよね、っていう類の話。

 

そしてこのときのすのクリエは、とても楽しかった。

 

今思えばこの時期のクリエは、とても楽しいという記憶もあるけど、同時にファンを含め極めて閉鎖的だったように思う。


勝手知ったるみたいな空間だったので、中にいる身からすれば居心地はとても良かったけど、外からみたら「あそこ怖い」という印象だった可能性もあるし、それだと拡がるのはやっぱり難しい。

でもこの時期の、閉じた空間でぐつぐつと「上に行きたい」という気持ちをどうにもならずひたすら鍋で煮込み続けてる数年が、その集大成みたいなクリエが、楽しいと感じたし、今でもめちゃくちゃ大好きな人は絶対にいると思う。

あと身も蓋もない言い方をすると、メンヘラ傾向のある人にはてきめんに刺さる空気だった。
あれはあれで、出そうと思っても出せないので、ある種の才能を感じる。

 

あとはこの頃にすの担以外の人とお話するとよく言われたのが

「すのーまんってお金ないとファンできないってイメージだから、ハマりづらい」

 

あ。はい。すみません。

 

そのイメージを他担に植え付けたのは、間違いなくこの時期に狂ったようにお金が動いたからだと思う。

みすのがあった頃に比べたら確実にファンは減っていただろうけど、残ったファンが総じて結構余裕があった層なのは、間違いない気がする。

あとは、その閉鎖空間への熱狂もあったんじゃないかな、って思う。

そもそも舞台のチケットも友達たちと協力すれば余裕で多ステ当たってたので、通うのが当たり前になってたのも他からしたら恐怖だったのかなって気がする。

「今回は観劇、少ないんだー。今のところ10回も行かない予定だし」

とかいう会話が通常なのは、冷静になると狂ってると思う。

 

この時期は、本当になんかがぐつぐつしてた気がする。

 

Snow Manも、ファンも。

 

 

お仕事は、年単位でルーチン化してない?脱出したい、という空気の頃。

 

 

あと個人的に、滝沢ソロコンで滝沢さんが初めて
SnowManの面倒をみる」
といった趣旨の発言をして、私はびっくりした。

過去も滝沢さんは知っての通り、いろんなJrに、個人に目をかけていたし、それは見てる側でもわかってたけど
言葉でわざわざ「これから彼らを面倒みる」とある意味宣言をしたことは、過去の目をかけてた何人かに対しても、なかったような気がする。
結果的に今面倒みてるんだよねーとか、過去に色々教えたーとか、そういう感じの発言ばっかの印象だったので。

言葉にしたら責任が伴うことはわかってるだろうから、「あえて」言ったんだな、と思った。

ちょうどSnowManは、名前もらったけど6人でどうするのかな、という状態は続いてたので、正直「事務所の推されが一人もいないので、後援がつくならめっちゃ嬉しいよね」というなんともな感想を私は抱いてた。

 

翌年の滝沢舞台では、ふっかさんが三郎役をやっていた。

あの、なんか5回くらい農民やってた人が、なんかマシュマロくってた(そこ)

去年「聞いてーー!!今年の農民、死なない農民だった!!生き延びてたよ!?!すごくない!???!」と友達にいって、鼻で笑われていた私、動揺してまともに舞台が見れなくなる。

 

それとは別に、舞台がみれなかったのがあって、割とトラウマになってるので

それは別で注意喚起(注意喚起が必要なのかももうよくわからない)として別記事にするかもしれない。

 

とりあえず、その頃からSnow Manは「滝沢舞台の中核」となり、いわゆる世間で言う「タッキーの秘蔵っ子」になった。

ただ、それに関して思うのは
正直なところ、言うて「滝沢舞台でしか影響しない」存在だったので、まるで滝沢舞台に触れてない層からは、結局ノーチェックのままだった。

多くの経験と事務所内での存在は大きくなったけど、それはそれとしてSnowManの爆発、拡大には何も影響してなかったように感じる。今でも。

 

今までチェックされてない層の目が向いた、という意味では

映画バカレアと、JUMPファンが多く集まったジャニーズワールドの方が大きかった気がする。あとそれに続いて謎選抜とBBJがあった。

ここでぐわーっと畳み掛けが起きたのが、一つの転機だったんじゃないかなーって思う。

 

あ、でも滝ちゃんねるは多くのジャニファンに見られてた気がする。

途中から課金システムも色々変化して、継続ユーザーがどれだけいたかは不明だけど。 

これまでのふっかさんの思い出をそっと青春の小箱に詰めよう③(2009-2012年)

こんなペースでやってたら終わらない、と気づいたので
さくさくしてこう。さくさく。



2009年~2012年ぽいとこ




みすすのーまんが出来た。

どうやらメンバーの頭文字から出来たらしい。


「???……え?Fは???」

と思ったら、どうやらユニット名を聞いた時のメンバーらもそう思ってたらしいから、おじいちゃん不思議ちゃんだから気にしないでいい系の事案だった。


雑誌でふっかさん本人が、ユニット名聞いた時、え?俺外れるの?って一瞬思った、的なこと言ってて、
私たちはメンバーと名前と同時にユニット名聞くから笑えるけど、ユニット名と由来だけ聞かされた本人はそりゃあ笑い事じゃないよね、と思った。


もしもみすすのーまんでデビューしたら、「頭文字をとったグループなんですよー」「え?Fなくない?」という流れが定番になるのだろうか
とか考えてた。


みすのが出来る前とか後とかも色々と人の増減はしてたけど
なんていうか私の中で「渡辺たち」という印象がとても強かったせいで、ちょっと増減しても「渡辺たち」であることに変わりはない、みたいな感じだった。

あと人のシャッフル、当たり前だったし。



ユニット名が出来て少クラでマイクを持って、メドレーの中の1枠とか貰えたり、オリ曲で1曲披露したりしてて、
全員が高校生になったから、先輩のバックでもカッコイイ系とかめっちゃ踊る系のバックに必ずと言っていいほど付いてたので
ファンもめっちゃ増えてウチワとか歓声も多かった。
そのまま滝ちゃんねるも始まり、開始早々のドッキリ企画が爆弾級に当たったり
映画HOT SNOWが公開されたり

とにかく、勢いがあった。あったんだ。



じゃあ、みすのでデビュー出来るという夢を見たか?というと
私は見つつも見てなかった。
勢いがある、出来たらいいなぁ、という想いとともに
「現実問題、エビキスを差し置いてみすのがデビュー出来る世界を1ミリも想像出来ない」
と思っていた。

勢いでいうなら、どうやったってその2つの方が上なのだ。
その2つが、それでもまだ「ジャニーズJr」をやってる世界なのだ。
これで誰がデビュー出来ると?

なので、夢見つつ夢見てなかった。


ただ、とにかく私はみすのがある限り辞めない、という安堵感があった。




そして、とってもJrらしいことに

映画HOT SNOWは、映画公開時はMis Snow Man主演だったが
DVD発売の頃には、ジャニーズJr主演、だった。


みすののセンター割してた2人、真田野澤がいいともに抜擢され、それに合わせて2人はnoon boysになった。
6人は、「ジャニーズJr」に戻った。


たかだか2年くらい、ちょっと勢いあってちょっと安定しちゃったもんで、忘れていた。
ジャニーズJrって、そういうもんだってことに。

事務所が推したいJr以外は、ただのジャニーズJrでしかないってことに。


2人が抜けた6人を見た時、
「やば……ここ全員、踊れる高校生だから重用されてたけど、1人もゴリプッシュされたり、目出度く誰かの覚えが良い、みたいな人いないじゃん……?」
と思った。
この段階で存在してたデビュー組のどこをみても、グループの中で、事務所に明らかに気に入られている人、覚えが良い人が『一人もいない』というグループは居ないように思った。
なんだかんだ、ちょっとくらいは特別扱いされてた人が混じってるものだった。

…………いなくない…………??

掲載時期はもっと後だった気もするけど、いわゆる山田様が雑誌でJr時代の話をした時の
「例え自分が合ってて、特別扱いされてる人が間違えてても、怒られるのは自分」(ニュアンス)
というやつの、怒られる側しか、いなくない?


この段階でも、みすのが無くなったことそのものよりも、「それによって未来が危うくなった」ことの方が不安で不安で仕方なかった。
ユニットに思い入れがあったような、なかったような。
別に、みすののこのメンバーじゃなきゃダメなんだ、という思いはなかった。


そのタイミングで、あべちゃんは秋から試験休みに入った。

あべちゃんがめちゃくちゃ偏差値高いということは誰もが知ってたので、程々な大学ではなく恐らく相応の大学に行くことが予想され
むしろ一般的な受験感覚からすれば、
「年単位で大学受験に構えてく中で、高校3年の秋まで仕事フルでやってやがったぞこの人……(震え)」
感もあったのだけど、ジャニーズJr感覚で言えば
「Jr生命が揺らいでるタイミングで半年も消える」
ということをしていて、
どちら視点でも震えるような決断。

いや、本当に阿部さん凄いと思う……ただただ純粋に、凄いと思う……。



そして、Jr担ももはやなんて読んでいいのか分からなくて
「みすの」だと8人ですか6人ですか5人ですか、ってなるし
「岩本たち」でも6人なのか5人なのか処理しきれず、というか「岩本たち」と呼称することにはファン心理として抵抗あったので
「みすの5」と言い出した。
みすのファイブ。変身しそう。



このファイブのタイミングで、海老デビュー後のファーストコンが代々木体育館であった。
5人はジャニーズJrとしてバックにいたのだけど、「岩本たち」では無かった。
理由は知らない。ただとにかく、3人が海老のうしろにいて、深澤渡辺は、本当にジャニーズJrの中にいた。
2人は海老の背後ではなく、マンションの中にいた。
2人はステージ中央付近ではなく、ステージの左右に伸びた部分にいた。

世の中には表に出ない色々があるので、何故そこにいるのかは私は知らない。何かあったのかもしれない。
ただとにかく現実として今この瞬間、5人は3-2で扱いもポジションも違う。
何か原因があったとしたら、今だけで、この後またすぐに戻るのかもしれない。
でも、これをきっかけに分離して、戻らないかもしれない。
先のことは誰にもわからない。


コンサート中にも関わらず、私の脳内は走馬灯が過ぎってた。
完全に走馬灯だった。
「ああ……今まで応援して来たアレやコレや……楽しかったなぁ……楽しかったなぁ……」
ぶっちゃけここまでガチで忘れてた、2007年に「この人がJr続けてる限り私は見限れないなぁ」を、
この時の走馬灯で「あ゙っ!!私昔そんなこと考えてたわ!!!沸いてるぅーー頭沸いてるぅぅーー」って思い出した。ここまで本当に忘れてた。
「でも、思えばあれから随分遠くに来たな……あの時予想してたより、はるかに長く応援出来たな……それはとても、幸せだなぁ」
完全に終焉ムード。思考がまとめに入っていた。


コンサート前半は動揺してて、後半は完全に走馬灯みてた。
本人は踊っていて、ステージの上にいて、そして安井さんとおしゃべりして遊んでるんだから、もっと目の前にいる本人に意識傾けて??ってくらい、意識がはるか上空に行ってた。

それが昼公演のこと。


夜公演。
深澤渡辺の衣装がそれでも他Jrと違って3人と同じもの着てたのだけど、夜公演ではそれも無くなって周りのジャニーズJrと同じ衣装になった。
悲鳴あげると同時に「そりゃまぁ周りに合わせるか……」という納得と諦めの記憶。
目の前のきらびやかなコンサートをボーーーっと目に映しながら
「もし分離したら、深澤さんは仕事続けるだろうか」
「3人が何かしらの形になって自分はJrの中の無所属になったとして、仕事続けるだろうか?続けなくない??」
「てか分離したとしたら3人もそれはそれで事務所続けてくだろうか」
「このまま空中分解したら、人によって事務所に残る人と残らない人出てくるんじゃなかろうか」
「てかメンバーが空中分解したら深澤さん残らないわ絶対残らないわこの人このメンバーだから続けてる感あるもん」
「あーーーふっかさん残らないわーーーーーー(心の中で大の字)」
「なんかある日突然他の芸能事務所に行ったらマジどうしよう」
「深澤さん単品で別に移籍するとかまるで無いけど(謎の確信)、メンバーが6人揃ってたら行くのか……?」
「ええ……?(困惑)」


そんな感じで、極めて失礼ながら、えびコンの記憶が本当にない。
ただ、それはそれとして
「海老ってば、せっっかくこれだけ待ち望んで待ち望まれたデビューをした、この!!タイミングで!!なんでABC-Z&ジャニーズJrみたいなコンサート構成にしちゃったの??自分たちが主役です!!じゃダメだったの??小さな漁村に居る母と妹の命をジャニーズJrに囚われてるの??」
とか言った記憶はある。



まぁ、結果的には杞憂に終わってその後またみすの5だったのですが。



そして春にはきっちりサクラ咲かせて阿部さんは戻ってくるし、

滝沢歌舞伎のスクリーンには

Snow Man

というグループ名が出た。



客席はざわついた。


彼らは客席のざわつきに、「え?」ってなった。






その時、私は






2階の天井近い端の席で奥まったスクリーンの文字部分がまるで見えず


「えっ?何が????えっ???何が?????」



って言ってた。




ひ ど い





確かそして会場は沸いて、拍手してたような気がするけど私は



「えっ????何が?????」



って言いながら、なごやかな半笑いで拍手していた。



私はその時、雰囲気で拍手していた。








会場にいたにも関わらず、公演終わった帰り道に流れてきたレポ読んで
「へ、へえーーーグループ名?ふーーん、そ、そうなんだーーーーー(動揺)」
って言ってた。



誰か私の人生に、席運というものをください。

これまでのふっかさんの思い出をそっと青春の小箱に詰めよう②(2008年)

年単位かよ刻み過ぎだろ、っていう自分の心の声が聞こえました。

たまたまです。そんな毎年昇華したい思い出なんてないです。





2008年。


JrBOYSを見てキャッキャしてるのはとても楽しかった。


2008年夏は死ぬほど忙しかった。

1部を追いかけてるだけのファンが忙しかったということは、彼らはめちゃくちゃ忙しかったのだと思うけど。



PLAYZONE Finalがあった。


PGFの曲中で、いつもほぼ毎公演、最上手にいる岩本と最下手にいる宮舘が何故か端と端で曲に合わせて熱唱しあっていたりしたので
文字通り目が足りず、友達と「見る人分担制」が出来上がった。
青山劇場の開演前に、双眼鏡の手入れをしながら「今日私岩本みる」「オケ私宮舘」という戦地に赴く兵士のようなアクションをしていた。
佐久間担と深澤担で。自担放置。


そんな中、ある時岩本さんが怪我か何かでお休みした。
残念なことに映像化したのはお休みしたタイミングだった。

それはさて置き、岩本さんがいないので全員一致で宮舘さんを見ていた佐久間担と深澤担(あくまでいわだてを見ることは止めない)
いつものタイミングで、いつものように上手を見ながら熱唱している宮舘涼太さん。


………………はい?


あれ???


私たち、宮舘は岩本と遊んでるものだと思ってきたのだけど



もしかして別に、宮舘さん的には、
岩本さんである必要…………全然無かったですか…………??



私たちはその、もしかしたら(岩本さんにとって)悲しい現実を、そっと心にしまった。

(誰一人として上手を見ていなかったので、誰と熱唱して遊んでいたのか今もって不明)




そしてプレゾンが終わったら即、既に公演が始まってたお台場SUMMARY(なんかお台場J地区でやってたやつ)に合流して、途中参加したJrBOYS。

ファンは追いかけてるだけなのに、青山に登山してたら直ぐに海辺で海風に煽られることになる。忙しい。
山に海とか、夏満喫してるようで炎天下のアスファルトとしか会話してない夏。
公演後にお台場海浜公園東京湾の水にペチャペチャ触れたくらい。悲しい。


SUMMARY。SUMMARY何あったかなSUMMARY。
あっ。
いわなべふかで何かよくわからないコントしてた。

小学生的に、〇〇がぼくのシャーペンとったーーーーって泣いたり、なんか膝がどうのこうのしてた。膝。とにかく膝。オチも確か膝。
まるでふわっふわして覚えてないけど、とにかくコントしてた。
ここからずっと私の中では、この人達はコントをする生き物だとインプットされている。
誰だすのーまんに関西が来たからコントするようになったとか言い放ったあほうは。ずっとコントじゃろがずっと。(エアリプ)


SUMMARYの途中で、嵐のアジアツアーだか何かに、年齢上の人だけ連れてかれた。
いわあべは置いてかれた。中学生だからシカタナイネ。
SUMMARYにぽつんと出てたのだけど、いつもあれっだけ笑顔で、あれっだけ隙あらばキャッキャ遊んでた岩本さんが、ただひたすら黙々と仕事だけしてる姿は笑i……涙を誘った。


とりあえず、この頃は公演がタダ被りしてるので、居る日と居ない日がある、というのが当たり前だった。
一見出演者ガチャだけど、ちゃんと調べれば予想はつくし、出なくても「今日居ない!?なんで?!あっ!!そっちかーーーー!!!」みたいなノリだった。
想定出来ないのは自分の勉強不足、知識不足、という認識だった。



で、確か2008年に遭ったこと。これで2008年じゃなかったらほんとゴメンでしかない。
正直私該当のコンサート結局(必要がなくなって)行かなかったもんで、何年だかよく覚えてない。


NEWS公演の途中で突然ふっかさんが消えた。
消えたというか前の地方公演には居たけど翌週の地方にはいなかった、的な。
最初から居ないならまだしも途中から消えたので、界隈がざわっとした。

これに関しては別に何か発表があったわけじゃないので完全に当時流れていた噂話の中の一つでしかないけども。
私が当時聞いた話だと、アクロバットで怪我をした、という事だった。
割とシャレにならない落ち方をして頭をやって意識無いまま病院運ばれたとか、そういう類の話だった。
それを聞いた瞬間、手足の先が冷えた感触がした。
もちろん、その後病院で意識が戻って大丈夫らしいよ、とかそういう話も聞いたのだけど。

私は、何が「大丈夫」なんだろうと思った。

いや。確かに、何より大切な「大丈夫」なのだけども。
この「大丈夫」は「命に別状は無い」という意味の「大丈夫」なのだ。
ものすごく大事な「大丈夫」なのだけど、つまりはそういう次元の話をしているのだ。生死に関わる噂話をしているのだ。

まずは、命に別状は無い、らしい。
それは良かった。とにかくそれが無ければ何も次に進めない。

で、次の話をすると、だ。

じゃあ、今後の仕事は……?

頭ってざっくり聞いただけじゃ何もわからないけど、頭とか首とか色々と、それって、後遺症の可能性あるんじゃないの?
直ぐに出なくても後々から出てくる可能性もあるんじゃないの?
今大丈夫でも、後は大丈夫じゃなくない……?

後遺症を持つジャニーズJrは、ジャニーズJrで居られるの?


私はあくまで他人に聞いた話なので、この噂話が本当かどうかは知らない。
世の中、あまりに適当な情報が出回ってるのは知ってるので、頭からそれを真実だと思うつもりはない。

ただ、この時に感じた恐怖は、この時だけのことじゃない、この先ずっと付いて回る恐怖なんだと知った。


私はこの時まで「本人が辞めたくなったから辞める」という退所しか想定していなかった。
「本人がどれだけ仕事を続けたくても、続けられない退所」もあって、それはすぐ身近なものなのだと、思い知らされた。
この噂話はもしかしたらただの風評かもしれないけど、それはそれとして、そういう事態はいつでも簡単に起こることだと、思い知らされた。


この時感じた、手足がなんかすごく冷えてぐるぐるした感覚と、その後に思った「この先もいつでもあっけなく起きる『終わり』だ」という強い実感は、正直いまだにまるで克服出来ない。

昇華したくてブログに書いたけど、この先も克服出来そうもない。



ふっかさん不在の「ざわっ」自体は、少しあとに本人が代々木体育館の見学席に居たことで収束した気がする。
天井から(毎度の席運)遥か真下に見えるBOX席のふっかさんの帽子を眺めながら、喜びとも不安ともつかない複雑な気持ちを抱いたことを覚えている。
私の席が真上の天井すぎてふっかさんの記憶が帽子しかないの、まじウケる。




2007年に続き、「自担、そこに居るだけでもはや神」 信仰はさらに加速していく。

これまでのふっかさんの思い出をそっと青春の小箱に詰めよう①(2007年)

デビュー発表を期に、これまでの思い出をアップロードして頭の内部ストレージすっきりしよう、という趣旨の記事です。


私が最も、どうにも消化出来てない頃の思い出を、何より一番に外部保存します。

楽しい思い出はずっとそばにあっていいけど
楽しいばかりじゃなかった思い出は、さっさと小箱にしまっちゃおうねー。


て感じなので、あんまり明るくない話題ばかりの気がします。

続きを読む

デビュー発表を受けて、過去の思い出を送り火しようと思った話。

2019年8月8日
東京ドームにて、Snow ManSixTONESの2020年同時デビューが発表されました。

まだ細かい事が出た訳では無いので、このあとの期間に何が起こるか分からないですが
とにかく、1つの大きな一段を登ることを、仮約束されました。

聞いた瞬間は、喜びはもちろん大きくあったのですが、それでも「なんだか実感がない」という感じだった気がします。

そのままの気分で配信を見終わって、ひとしきり配信見てた友達とLINEしあって、公演入ってた人達のツイートを見て。
それからようやく、ぼんやりと色んなことを考えたり思い出したりしてました。

その時にふと、「ああこれで私は、これまで応援してきた過去の思い出を忘れていいんだな」
と思いました。

いつでも私は「いなくなるかもしれない」と、昔は強く、今でも頭の片隅程度ではずっとその考えを持っていました。
なので、「もしそうなった時には私はこの応援していた何年もの思い出を大事に墓に持っていこう」とも思ってました。
つまり、これまでの思い出がとてもとても大事でした。

でも、このデビュー発表という「この先の約束」がされた時に、「ああもうこの思い出を大事に大事に大事にしてなくても、これから先もどんどん新しい新鮮な思い出をいっぱい作れるじゃないか」と。
執念のように抱え込んで大事にする必要がなくなりました。

思い出をもっていることが嫌なわけではないないのですが、私はあの頃は良かった派よりも、今この瞬間が最of高派なので、自分の大事にしてる思い出は言うて「今に連なる、昨日よりちょっと前のこと」であって、それ以上の何かではないです。
それなのに、いつか思い出の更新がなくなっちゃうかもしれないから、記念のスクショや画面保存は消せなくて常に容量がパンパン、みたいな状態でした。


ああ、もうこれを「1つも消せない……!!!」って必死に残さなくても、クラウド保存でもしておいて、見たい時に見れるようにすればいいじゃん!だって、思い出はこれからめちゃくちゃ増えるんだから!!!

と。デビュー発表のあと、静かに寝る前にそんなことを考えました。


それと同時に過去の自分の思いを思い出しました。

私が大事に抱え込んでた思い出を、ほどきながら思い出してました。

一つ一つは大事に抱え込んでたので内容は分かりきってる思い出でしたが、それでもその思い出に、今までには感じたことの無い気持ちがありました。

ほっとした気持ちと、不安な気持ち。

その時はじめて、私のこの積みさかなってた思い出は、全部が不安と共にあったのだと知りました。
今この日。この配信を見た時の記憶が初めての、不安がくっ付いてない思い出なのだと気づきました。

ああ、この不安と共にあった記憶はもう、葬り去っていいんだな。

そう考えた時。
世間では目の前にお盆があったので。
じゃーちょーどいいんで、このまま不安はもう送り火しよう。
そんでそれからは、まっさらすっきりとした思い出をまたどんどん詰め込んでいこう。


そんなふうに考えたので。

しばらく、ブログにこれまでの私の思い出.zipを解凍してアップロードして、必要ならここにきて見ればいいので、私の内部ストレージはさっぱりにしようと思います。


と、なんか色々言ってますが
たぶんお盆期間中に更新、終わらないです。
しばらく時間かかってると思います。
もうデビューまでに終われば良いくらいの気持ちで動いてます。
送り火とは。


しばらく自分語りしまくってるやべえ奴と化しますが、そもそもの内容は1個人の主観で歪められた思い出であって事実ではまるでないので、あまり気にしないでください。
あと突然過去のおさらい始めることとなりますが、別にヲタを引退するとかじゃまるでありません。

むしろこれからも応援頑張ります。